いつもスウィング気分で
Moving out
「いいや、君がさ」
「ああ、私・・・ここに? そうね・・・」
話しながら俺はTシャツとジョギングパンツに着替えた。彼女は俺のために夕食をセットしてくれた。俺のグラスにミルクを注ぎ自分には半分まで満たしてソファに戻った。俺はサンキューと言いカーペットに直にあぐらをかきフォークを手にした。
「良いこと考えた」
しばらくすると彼女は言った。それは今思い付いたという言い方ではなかった。初めからそうしようと決めていて、いつ言い出そうかと狙っていたという言い方だ。
「何?」
「ラッキーだわ。引っ越しのチャンス]
「今?」
「そう。今夜から取り掛かれば日曜日までに終わるわ」
そりゃ良い考えだ、俺もそう思う。だが顔には出さずジャーマンポテトのキャベツをくるくるとフォークで巻き取って口に入れた。酸っぱい。それをミルクで飲み下し、俺はフォークを置いてしまった。何だか急に食事が喉を通らなくなったのだ。良いよ、善は急げだ、今すぐ始めよう、無表情にそう言って立ち上がると彼女は驚いて俺の顔を見た。
「反対するかと思った」
「どうして」
「残業で疲れてると思ってたから」
確かに疲れていた。汗で体はベタベタだし腹も減っていた。だが彼女の良い考えを聞いた途端に回復した。今夜は徹夜だ。荷造りの必要など無い。手当たり次第車に積み込んでしまえば良い。
彼女は服を着た。ダンガリーのワンピース。無人の廊下で、エレベーターの中で、ボタンをはめた。管理人室には若いガードマンが居た。こいつも俺が気に食わないらしい。彼女と俺を代わる代わる睨んだ。
「感じ悪いわ」
「まあね」
「みんなそう?」
「4人居るけどみんなあんなもん」
「ガードマンしか出来ないって顔ね」
そうそう、中でも警察出のあのおじさんは特にね、と俺は心の中で言った。これから彼女も彼らガードマンにお世話になるわけだ。挨拶には行ってもらおうか。
「前にさ」
キーをイグニションに差し込みエンジンをスタートさせながら俺は言った。ギアをファーストに入れ静かにアクセルを踏む、ハンドルを右に切ってガレージの外へ。
「なあに?」
慣れた手付きで彼女はカーステレオにカセットテープをかけた。俺のお気に入りのそして彼女も好きなジャズが、ドアと後ろのスピーカーから流れて来る。
「彼から電話が掛かって来たことがあったろう。覚えてる?」
「覚えてるわ。それがどうかした?」
「あの後、君、暫く塞いでいたように見えた」
「ああ、あれね」
彼女はステレオのボリュームを下げた。
「外で食事する約束だったの。それが会議で出来なくなったって断りの電話」
「それだけであんなに塞ぐ?」
「言い方がイヤだったの。私の行動を指示するみたいな感じで。好きにするわよねぇ」
「そっか」
山手通りを左に折れて井の頭通りに入る。300m程走ると左に学校がある。その向かい側の道に入って2角先に彼女たちの住むマンションが見える。威圧的に俺を見下ろしている。ここから今俺は彼女を連れ出そうとしている。ああこんなこと以前にもあったような気がする。奪ったのが俺だったか、奪われたのが俺だったかもう忘れてしまった。
ドアの左に白いプラスチックのプレートがある。上に「山崎秀也」、下に「森田秋子」と並んでマジックで書かれている。送って来る度に目にしていたが、これも今日で見納めだ。ドアを開けると、
「そのまま入って」
と彼女は言った。
彼女はサンダルを脱がずにそのまま部屋の中に入って行った。歩きながら壁のスイッチをバチバチと全部オンにした。部屋の中が明るくなり、俺は初めて入った彼女たちの部屋の中を見回すことができた。すごい部屋だ。2人で住むには広過ぎる。玄関を入ると正面にファニチャードのシューズケース。右手に廊下。廊下を隔てて部屋が1つ。8畳くらいある。ライティングデスクと事務的なファイリングキャビネットが2つ並べてある。オーディオメーカーの研究所員であるという彼の書斎なのだろう。カーテンの代わりにロールスクリーンが下がっていた。あれはスペインの画家の絵だ。ほら、あの時空間の歪んだ絵を描く画家。ロールスクリーンはリンカーンの肖像だが、近付くと窓際に立つ裸の女性が浮き上がる。クロゼットの前を通り過ぎて居間へのドアを開く。左手にキッチンユニットがあり、真ん中に2人用のテーブルと椅子。右手に天井までの窓を背にしてL字型のソファ。その傍にディスプレイだけのテレビとビデオが載ったキャスター付きのテレビ台。さてスピーカーはと見回すと、4隅に天上から吊るして少し手前に傾けてある。部屋中に音楽が満ちる仕掛けだ。凄い、俺も真似しよう。居間の向こう側に部屋が2つ並んでいるようだ。彼女は右側の部屋のドアを開けた。6畳程の部屋の真ん中にどーんとベッドが置いてある。ベッドの他には何も無い。
「ワードローブはどこに置いてあんの?」
そう俺が言うと、彼女は左側のドアを指差した。ドアを開けるとそこは6畳程の部屋で白木の家具が並べてあった。部屋は全てフローリングで畳の部屋が無い。
「風呂が無い」
「有るわよ」
さらに奥に向かうドアを押すと洗濯機が置いてあり、洗面台が右手にあった。その奥にバスルームがあるらしい。2つ折りのドアの曇りガラスにバスタブが透けて見えた。
「運ぶ物を指示してくれ」
「衣類はこのタンスの中。家具は私の物ではないの。会社関係の書類は書斎の書棚の一番下の段だけ。私物は色んなところに置いてあるから、集めて来るわね。電気製品は3個。カセットラックが何段かあるわ。後は電話かな」
「持ってく?」
「明日朝イチで電話局に言って移動を依頼する。同じ渋谷区内だから番号は変えなくて済むはず」
「彼、電話が無いと困るんじゃないか?」
「あら、気付かなかった? 電話は2つあるのよ。彼のと私のと、ホラ」
クロゼットルームを出て居間へ戻ると彼女はサイドボードの横に立った。グラスやバーボンのボトルが並んだサイドボードの上に、彼女が会社の机に置いてあるのと同じメモ台とカセットラック、電話が2台置いてある。1つはアイボリーのプッシュフォン、オーソドックスな形。もう1つはハンディフォン、受話器だけの形でキリキリと鳴く奴だ。
「君のはどっち?」
「小さい方よ」
「2つあったとは驚きだ。これじゃ一緒に住んでることがバレないわけだな」
「そう。訪ねて来ない限りはね」
言いながら彼女は俺の足元にスリッパを置いた。俺はそれに履き替えた。グリーンのカーペットを敷き詰めた部屋で俺たちは作業にかかった。彼女は居間を出、廊下のクロゼットからゴソゴソとたたんだ段ボール箱を2つ引っ張り出し組み立てた。底をガームテープで塞いでクロゼットルームへ置きに行った。俺は彼女の後に続いてそこへ行き、衣類を納めるのを手伝った。大き目の箱だったので衣類は全て納まり少し余裕がある。そこへ彼女はハンドバッグを入れた。蓋を閉めずにそのまま車に積もう。
「車に入るかしら。」
「大丈夫だと思うよ。後部座席結構広いから」
取り敢えず廊下に出しておく。
廊下のクロゼットから今度は中位の箱を取り出して組み立て、書斎へ。書棚の書物を入れる。半分を満たしただけだが、本は重い。タイプライターを載せたらかなりの重さになった。
「後は?」
「化粧品と・・・あ、食器が少しある」
「じゃ、それは後にして食事にしないか」
彼女の用意してくれた夕食をそこそこにして来たので、昼飯以来食べていない俺はいよいよ空腹に耐えられなくなっていた。ライティングデスクの上の時計はもう次の日になっている。夜明け前には終わるだろう。
「環七に出ればファミリーレストランが沢山あるわ」
駐車場に出ると、俺は辺りを見回した。奴の車を探したのだ。無い。そんな俺に気付いた彼女が言った。
「車で行ったのよ。その方が安いんですって」
環七へ入り一番最初にぶつかった終夜営業のファミリーレストランの駐車場に車を入れた。
席に案内されメニューを一通り見終わった頃、ウェイターが来た。彼女はポテトグラタンとほうれん草のソテーと言い、俺はシーフードピラフとグリーンサラダと言い、2人同時に、コーヒーと言った。コーヒーはお代わり自由なので最初に持って来てもらうことにした。
「暫くお世話になるけど新しいお部屋がみつかったら出るわね」
「何故? ずっと居ても構わないよ」
「うーん・・・多分同じことの繰り返し」
「どうしてさ」
「不満を抱かないとも限らない」
「出て行くのはその時で良いさ」
「そうかな・・・」
コーヒーが来た。大き目のミルクピッチャーにはミルクがたっぷり入っていた。彼女はコーヒーにミルクをたっぷり入れ、俺は何も入れずに1口飲んだ。
「前にも言ったけど、一緒に暮らしているからと言って必ずしも何かの義務を果たさなければならないということは無いんだ。良心的に物事を判断して万事運んで行きたいけどね。同居のルールは必要だけど空間を共有するための極々常識的なルールだよ。男も女も区別しない」
「頭ではわかっていても心と体がちぐはぐに動くと思う。食事の支度も掃除も洗濯も手の空いてる方がやれば良いってことでしょうけど、私きっと、良いわ私がやるからと言ってしまう。最初はあなたも済まないと言うかもしれないけど、そのうちそれが私の仕事になっちゃう。済まないと思うなら手伝ってよと心の中で私は思ってしまう。でも、手伝おうかと言われると、大丈夫よと答えてしまう」
「そんなの勝手だよ」
「そうよ、私の勝手。日本ではそれが女の歴史だもの、長い間の」
「いずれは誰かと結婚するんだからそういう考え方は改めた方が良いんじゃないかな。尽くす自分に嫌気がさすのはわかるけど、それで相手を嫌いになるのは筋違いだ」
「違う」
「違わない。今君がそう言ったから少なくとも俺はそうならないように努力するよ。君も今迄とは違う努力をしてみるべきだな」
「…」
「ああ、私・・・ここに? そうね・・・」
話しながら俺はTシャツとジョギングパンツに着替えた。彼女は俺のために夕食をセットしてくれた。俺のグラスにミルクを注ぎ自分には半分まで満たしてソファに戻った。俺はサンキューと言いカーペットに直にあぐらをかきフォークを手にした。
「良いこと考えた」
しばらくすると彼女は言った。それは今思い付いたという言い方ではなかった。初めからそうしようと決めていて、いつ言い出そうかと狙っていたという言い方だ。
「何?」
「ラッキーだわ。引っ越しのチャンス]
「今?」
「そう。今夜から取り掛かれば日曜日までに終わるわ」
そりゃ良い考えだ、俺もそう思う。だが顔には出さずジャーマンポテトのキャベツをくるくるとフォークで巻き取って口に入れた。酸っぱい。それをミルクで飲み下し、俺はフォークを置いてしまった。何だか急に食事が喉を通らなくなったのだ。良いよ、善は急げだ、今すぐ始めよう、無表情にそう言って立ち上がると彼女は驚いて俺の顔を見た。
「反対するかと思った」
「どうして」
「残業で疲れてると思ってたから」
確かに疲れていた。汗で体はベタベタだし腹も減っていた。だが彼女の良い考えを聞いた途端に回復した。今夜は徹夜だ。荷造りの必要など無い。手当たり次第車に積み込んでしまえば良い。
彼女は服を着た。ダンガリーのワンピース。無人の廊下で、エレベーターの中で、ボタンをはめた。管理人室には若いガードマンが居た。こいつも俺が気に食わないらしい。彼女と俺を代わる代わる睨んだ。
「感じ悪いわ」
「まあね」
「みんなそう?」
「4人居るけどみんなあんなもん」
「ガードマンしか出来ないって顔ね」
そうそう、中でも警察出のあのおじさんは特にね、と俺は心の中で言った。これから彼女も彼らガードマンにお世話になるわけだ。挨拶には行ってもらおうか。
「前にさ」
キーをイグニションに差し込みエンジンをスタートさせながら俺は言った。ギアをファーストに入れ静かにアクセルを踏む、ハンドルを右に切ってガレージの外へ。
「なあに?」
慣れた手付きで彼女はカーステレオにカセットテープをかけた。俺のお気に入りのそして彼女も好きなジャズが、ドアと後ろのスピーカーから流れて来る。
「彼から電話が掛かって来たことがあったろう。覚えてる?」
「覚えてるわ。それがどうかした?」
「あの後、君、暫く塞いでいたように見えた」
「ああ、あれね」
彼女はステレオのボリュームを下げた。
「外で食事する約束だったの。それが会議で出来なくなったって断りの電話」
「それだけであんなに塞ぐ?」
「言い方がイヤだったの。私の行動を指示するみたいな感じで。好きにするわよねぇ」
「そっか」
山手通りを左に折れて井の頭通りに入る。300m程走ると左に学校がある。その向かい側の道に入って2角先に彼女たちの住むマンションが見える。威圧的に俺を見下ろしている。ここから今俺は彼女を連れ出そうとしている。ああこんなこと以前にもあったような気がする。奪ったのが俺だったか、奪われたのが俺だったかもう忘れてしまった。
ドアの左に白いプラスチックのプレートがある。上に「山崎秀也」、下に「森田秋子」と並んでマジックで書かれている。送って来る度に目にしていたが、これも今日で見納めだ。ドアを開けると、
「そのまま入って」
と彼女は言った。
彼女はサンダルを脱がずにそのまま部屋の中に入って行った。歩きながら壁のスイッチをバチバチと全部オンにした。部屋の中が明るくなり、俺は初めて入った彼女たちの部屋の中を見回すことができた。すごい部屋だ。2人で住むには広過ぎる。玄関を入ると正面にファニチャードのシューズケース。右手に廊下。廊下を隔てて部屋が1つ。8畳くらいある。ライティングデスクと事務的なファイリングキャビネットが2つ並べてある。オーディオメーカーの研究所員であるという彼の書斎なのだろう。カーテンの代わりにロールスクリーンが下がっていた。あれはスペインの画家の絵だ。ほら、あの時空間の歪んだ絵を描く画家。ロールスクリーンはリンカーンの肖像だが、近付くと窓際に立つ裸の女性が浮き上がる。クロゼットの前を通り過ぎて居間へのドアを開く。左手にキッチンユニットがあり、真ん中に2人用のテーブルと椅子。右手に天井までの窓を背にしてL字型のソファ。その傍にディスプレイだけのテレビとビデオが載ったキャスター付きのテレビ台。さてスピーカーはと見回すと、4隅に天上から吊るして少し手前に傾けてある。部屋中に音楽が満ちる仕掛けだ。凄い、俺も真似しよう。居間の向こう側に部屋が2つ並んでいるようだ。彼女は右側の部屋のドアを開けた。6畳程の部屋の真ん中にどーんとベッドが置いてある。ベッドの他には何も無い。
「ワードローブはどこに置いてあんの?」
そう俺が言うと、彼女は左側のドアを指差した。ドアを開けるとそこは6畳程の部屋で白木の家具が並べてあった。部屋は全てフローリングで畳の部屋が無い。
「風呂が無い」
「有るわよ」
さらに奥に向かうドアを押すと洗濯機が置いてあり、洗面台が右手にあった。その奥にバスルームがあるらしい。2つ折りのドアの曇りガラスにバスタブが透けて見えた。
「運ぶ物を指示してくれ」
「衣類はこのタンスの中。家具は私の物ではないの。会社関係の書類は書斎の書棚の一番下の段だけ。私物は色んなところに置いてあるから、集めて来るわね。電気製品は3個。カセットラックが何段かあるわ。後は電話かな」
「持ってく?」
「明日朝イチで電話局に言って移動を依頼する。同じ渋谷区内だから番号は変えなくて済むはず」
「彼、電話が無いと困るんじゃないか?」
「あら、気付かなかった? 電話は2つあるのよ。彼のと私のと、ホラ」
クロゼットルームを出て居間へ戻ると彼女はサイドボードの横に立った。グラスやバーボンのボトルが並んだサイドボードの上に、彼女が会社の机に置いてあるのと同じメモ台とカセットラック、電話が2台置いてある。1つはアイボリーのプッシュフォン、オーソドックスな形。もう1つはハンディフォン、受話器だけの形でキリキリと鳴く奴だ。
「君のはどっち?」
「小さい方よ」
「2つあったとは驚きだ。これじゃ一緒に住んでることがバレないわけだな」
「そう。訪ねて来ない限りはね」
言いながら彼女は俺の足元にスリッパを置いた。俺はそれに履き替えた。グリーンのカーペットを敷き詰めた部屋で俺たちは作業にかかった。彼女は居間を出、廊下のクロゼットからゴソゴソとたたんだ段ボール箱を2つ引っ張り出し組み立てた。底をガームテープで塞いでクロゼットルームへ置きに行った。俺は彼女の後に続いてそこへ行き、衣類を納めるのを手伝った。大き目の箱だったので衣類は全て納まり少し余裕がある。そこへ彼女はハンドバッグを入れた。蓋を閉めずにそのまま車に積もう。
「車に入るかしら。」
「大丈夫だと思うよ。後部座席結構広いから」
取り敢えず廊下に出しておく。
廊下のクロゼットから今度は中位の箱を取り出して組み立て、書斎へ。書棚の書物を入れる。半分を満たしただけだが、本は重い。タイプライターを載せたらかなりの重さになった。
「後は?」
「化粧品と・・・あ、食器が少しある」
「じゃ、それは後にして食事にしないか」
彼女の用意してくれた夕食をそこそこにして来たので、昼飯以来食べていない俺はいよいよ空腹に耐えられなくなっていた。ライティングデスクの上の時計はもう次の日になっている。夜明け前には終わるだろう。
「環七に出ればファミリーレストランが沢山あるわ」
駐車場に出ると、俺は辺りを見回した。奴の車を探したのだ。無い。そんな俺に気付いた彼女が言った。
「車で行ったのよ。その方が安いんですって」
環七へ入り一番最初にぶつかった終夜営業のファミリーレストランの駐車場に車を入れた。
席に案内されメニューを一通り見終わった頃、ウェイターが来た。彼女はポテトグラタンとほうれん草のソテーと言い、俺はシーフードピラフとグリーンサラダと言い、2人同時に、コーヒーと言った。コーヒーはお代わり自由なので最初に持って来てもらうことにした。
「暫くお世話になるけど新しいお部屋がみつかったら出るわね」
「何故? ずっと居ても構わないよ」
「うーん・・・多分同じことの繰り返し」
「どうしてさ」
「不満を抱かないとも限らない」
「出て行くのはその時で良いさ」
「そうかな・・・」
コーヒーが来た。大き目のミルクピッチャーにはミルクがたっぷり入っていた。彼女はコーヒーにミルクをたっぷり入れ、俺は何も入れずに1口飲んだ。
「前にも言ったけど、一緒に暮らしているからと言って必ずしも何かの義務を果たさなければならないということは無いんだ。良心的に物事を判断して万事運んで行きたいけどね。同居のルールは必要だけど空間を共有するための極々常識的なルールだよ。男も女も区別しない」
「頭ではわかっていても心と体がちぐはぐに動くと思う。食事の支度も掃除も洗濯も手の空いてる方がやれば良いってことでしょうけど、私きっと、良いわ私がやるからと言ってしまう。最初はあなたも済まないと言うかもしれないけど、そのうちそれが私の仕事になっちゃう。済まないと思うなら手伝ってよと心の中で私は思ってしまう。でも、手伝おうかと言われると、大丈夫よと答えてしまう」
「そんなの勝手だよ」
「そうよ、私の勝手。日本ではそれが女の歴史だもの、長い間の」
「いずれは誰かと結婚するんだからそういう考え方は改めた方が良いんじゃないかな。尽くす自分に嫌気がさすのはわかるけど、それで相手を嫌いになるのは筋違いだ」
「違う」
「違わない。今君がそう言ったから少なくとも俺はそうならないように努力するよ。君も今迄とは違う努力をしてみるべきだな」
「…」