いつもスウィング気分で
 ま、良いさ。暫く一緒に暮らすのは事実だし、その間に2人のルールも定まって行くことだろう。彼女が部屋を探すなら俺はそれを阻まない。彼女が俺の生活を乱さない限り俺は彼女を拒まない。それで良い。お互いの心の中にだけ義務と権利を携えて建設的に暮らせば良い。
「俺は今迄の自分の生活を変えないよ。君に合わせたりはしない。君も自分のペースで過ごせば良い」
「できっこないわ」
「決めつけるな」
「今以上にあなたを好きにならないとは限らないもの」
 ん? これは喜んで良いのか? 返答にまごついているところへ料理が来た。ご注文の品は全てお揃いでしょうか、ごゆっくりどうぞと早口に言い、ウェイターは去ろうとする。おいおいコーヒーカップが空だぞ、気付けよ。背中に向かってコーヒーをと俺は言った。首だけこちらに向けて彼は、はいと答え足早に去った。せわしない男だ。
 やや待たされてようやくコーヒーサーバーを手にウェイターは来た。彼女と俺のカップにコーヒーを満たし一礼して去った。それまで2人は無言で食べていた。
「電話が来ると思うの」
 なかなか冷めないグラタンをフーフーしながら彼女は言った。
「会社に?」
 ムール貝の身にフォークを突き刺して俺は聞き返した。
「火曜日、彼が部屋に戻って来て私の物が無いことにすぐ気が付く。その日のうちに私とコンタクトが取れなければ水曜日には必ず・・・」
 フォークを電話のように持つ仕草をした後、再びグラタンを突っつく作業に戻った。十分に冷ましたつもりでもかじると中が熱い。彼女は口をホクホクさせた。
「どうする?」
「話すわ」
「俺のこと?」
「いいえ。別れる意思だけ」
「忽然と消えるわけだ」
「消えたことにはならない。仕事は辞めないもの。私をビルの入り口で待ち伏せすることも可能だし」
「大丈夫かい?」
「平気よ。みっともないことはしない人だから」
「君は彼のことを良く知ってるね」
「そうよ。私、彼のテイシュクな妻役だったもの。あの人は私を分析出来ないと思う」
「そうかな」
「そうよ。その必要が無かったんだから。あの人の思考の邪魔さえしなければ私はあの部屋に存在して良かったの。さっきあなたも同じようなことを言ったわね」
 俺は、あ、と一瞬食べる手を止めた。『俺は今迄の自分の生活を変えないよ。君に合わせたりはしない』と言ったことだ。言った言葉を撤回出来ない。後悔先に立たずだ。
 せっかちなウェイターに言われた通りゆっくり食事をし、コーヒーをもう1杯お代わりし、俺たちは満腹になった。彼女はうっかり財布を持って出るのを忘れ、俺が出掛けにジョギングパンツのポケットに突っ込んだ1万円札で勘定を済ませた。
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