いつもスウィング気分で
 席に着くと若杉が早速、どうした何があったと聞きに来た。新プロジェクトの打ち合わせだと俺はごまかしたが、秋子が困惑した表情を見せていたので嘘だとバレバレだ。若杉はそれ以上何も言わなかった。いつもはしつこい若杉が珍しいこともあるもんだ。
 始業時刻を2時間近く過ぎて俺たちはようやく仕事を始めることが出来た。俺はさっきの続きをキーボードに叩いていたが、彼女はデータリストを机上に広げたまま紙上の一点をみつめている。斜め後ろに彼女の気配を感じながらなかなか進まないプログラミングに溜息をついた時、ようやく彼女は動いた。席を離れると備えつけのパーコレーターに向かい、自分のコーヒーカップにコーヒーを注いだ。クリームパウダーを山盛り1杯加えて掻き混ぜ、その場で窓外を眺めながら飲んでいる。隣のビルとの間には狭い通路がある。黒いアスファルトの道だ。今日は風が強い。木も草も無いので風は見えないが、人が通れば服も髪も乱れるほどのビル風がそこに吹き込んでいることがわかるだろう。彼女は半分ほど飲んでから戻って来た。俺と目が合うと少し眉を顰めた。俺の左隣のディスプレイに向かって座り、俺にも聞こえるか聞こえないかの声で、
「今日は一日が長そう」
と言った。スイッチを入れ、カタカタとキーボードを叩き始める彼女を抱きすくめたい衝動に駆られたが、できるはずもなく、仕事に集中しているフリをした。
 そうだ、今日彼女は奴と会うのだ。決着をつけるために。彼女はしっかりとピリオドを打つだろう。彼女がしようとしていることを奴は止められない。
 視線を感じて顔を上げると、若杉と目が合った。だが奴は何も言わなかった。不気味だ。ディスプレイ越しに見える若杉はハンサムの部類に入る。背はそれほど高くないが目鼻立ちがはっきりしているので、俳優にしたら身代潰しの若社長役が当てはまりそうな感じだ。だが口を開くと途端に男が下がる。卑しい考えを抱いていることがその目に現れている。
 俺は昼食後自転車をトランクに積んだ。秋子は珍しく同僚OLたちと喫茶店へ行った。サブの話が気になってか、それとも奴と会うことに気が滅入ってか、いつもはしないことをした。彼女は財布に4、500円しか持ち歩かない。大きい金を持つと不安になるのだそうだ。それでも何かあった時のために2、3000円は持っていた方が良いのではと提案したら、何かあったらお巡りさんのお世話になりますと答えた。今日はたまたま遠藤に返すはずの金が手元に残ったので喫茶店に行く気になったのかもしれない。
 昼休みが終わって席に着くと、彼女は呆れかえった様子で言った。
「驚いたわ、7人中4人が煙草を吸うのよ。女の煙草が悪いとは思わないけど、たかだか喫茶店に行ったくらいであそこまで自分をさらけ出すことないと思うわ。胸のボタンを1つ多く外したり、言葉が乱暴になったり。他の課の人たちも居るのに平気なの」
 名前を聞いて俺も驚いた。お世辞にも煙草を吸う姿が似合うとは言えない連中だ。掃除もまともにしない癖にそういうところでは自分を主張したがる女なんてみっともない。俺は女を見る目があるぞ。そいつらをイイ女だと思ったことがない。誘ったこともない。
「君は吸わないのか」
「あれば吸うかも。自分では買わないですね。買わないから吸わないのか、吸わないから買わないのか…。煙草に敵意はないですから、吸いたい時には吸うでしょうけど、最近は吸いたいと思わないです。マナーの悪い喫煙者は嫌いですね。人間として軽蔑します。歩きながら吸ったり灰皿以外のところに吸殻を捨てたり、TPOを弁えずに吸ったり、相手のことを考えなかったり、吸殻の始末を他人に任せたり」
 そう言って左手の人差し指と中指を口元へ持って行き、スパッと吸う真似をした。
「奴は吸わないのか」
 大意は無い。純粋に吸うか吸わないか聞きたかっただけだ。彼女は少し眉を動かした。
「吸いません」
「じゃあ君にも吸うなと言うだろう」
「そうですね。男の俺が吸わないのに女のお前が吸うのはおかしいと言います」
「変な理屈だ」
「全く」
「俺はそんなことは言わないよ」
「関係無いわ」
 最後は小声でプライベートな会話になった。彼女はやはり関係無いと言った。
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