いつもスウィング気分で
This woman
 俺、黒瀬陽一、29歳、さそり座、O型。一般的な家庭の末っ子。大学時代から独り暮らし。大学卒業後院生をやった。専攻は情報処理。で、現在コンピューターソフト開発の会社に籍を置き、課長クラスのポストに居る。趣味は車とオーディオ。この辺は平凡過ぎて面白味に欠けるかな。女? 大好き。だから特定の恋人というのは作らない。
 彼女、森田秋子、23歳、O型。我が社に今年入った新入社員。理由は知らないが4年生をダブったという。大学では英語専攻。趣味は編み物とエアチェックだと言っていた。音楽の趣味が気になる。彼女と同期の男に聞いた話では同棲しているらしい。真相を究明する必要ありだ。これは俺個人の問題として放っておけない。その辺のぶりっ子とは一味違うような気がする。味見の価値あり。プライオリティーを上げておこう。
「森田さんさ、恋人いるの?」
 誰でもまず最初に必ずするところの月並みで俗っぽい質問を、俺はした。
「いますよ」
 前に述べたように、新入社員はまず隠す。か、曖昧な言い方をし、実はいるのだと匂わせる。だが彼女は何のためらいも無く恥ずかしそうにもせず、サラリと言った。
「へえ、どんな人?」
 その問いにもやはり彼女は臆せず答えた。隠すという因習に囚われたり浸ったりしている女たちには、彼女が簡単に白状するのは理解できないかもしれない。軽率だと言うかもしれない。彼女はコーディングの手を休めない。
「身長178㎝(俺より低い)、体重70㎏(俺より太い)、私より1つ年上(24か、若いな。と言っても俺だってまだギリギリ二十代だ)、オーディオ機器の研究所に勤めてます(おっと理系は共通するところだな)、趣味はメカニック全般(うーむ同じようなもんだ)、獅子座のO型です(げっ、血液型同じだ)」
「どこに住んでるの?」
 そう尋ねると、彼女は顔を俺の方に向け、鉛筆を親指と人差指でブラブラさせながら、
「ご存知でしょ?」
と言った。いたずらっぽく微笑んでいる。
「ストレートにおっしゃれば良いのに。『同棲してるんだって?』って。恋人がどうのこうのって、何が聞きたいか意図が見え見えです。そういうのって黒瀬さんらしくないんじゃないですか」
 何を根拠に俺らしくないと言うのか少しムッと来たが、確かに彼女に対して単刀直入でなかったのは潔くなかった。おれは即座に反省した。
「だってさ、あんまりはっきり言うと怒るだろうと思ってさ」
「怒る? 私がですか? とんでもない。もっともそれ以上プライベートな事に対する質問にはお答えしません。でも怒ったりするもんですか。お断りするだけです」
 怒ったりとお断りはゴロが似ている、うまいことを言うな、と感心しながら、俺の視線は彼女の左の薬指にあるシルバーの指輪に行った。
「じゃ、婚約してるんだ」
 そう言って指輪を差した。すると彼女は左手を俺にかざして言った。
「どうしてみんなこの指に指輪があると結婚に結び付けるんでしょうか。指輪なんて単なるアクセサリーに過ぎないのに」
「じゃあ何?」
「ただの飾りです。一番好きな指輪で、この指のサイズだからしているだけ」
「彼に貰ったんだ」
「前の彼に」
「え、じゃあ一緒に住んでる彼がイヤがるんじゃないか?」
「さあどうでしょう。イヤだと口には出しませんけど」
「きっとイヤだと思うよ」
「だとしても私この指輪好きなんですもの」
「だからさ、その指輪が好きイコール前の彼がまだ好き、になるんじゃないか?」
「黒瀬さん」
 遮るような空気を含んだ声で俺を呼ぶと、彼女は再び鉛筆を走らせた。
「ジェラシーはコンプレックスの副産物だと思いませんか」
 俺の中のジェラシーに気付かれたかと一瞬戸惑ったが、その戸惑いを表に出さず、素直に彼女の言葉を受け入れたフリをした。確かに物にジェラシーを抱くなんて自分を惨めにするだけだ。覚えがある。うんと幼い頃にもつい最近もあったことだ。
「それだけ君のことが好きなんだろ」
「表に出さなければ好きということにはなりません」
「だったら一緒になんか住まないさ」
「こんな便利な家政婦、手放すのはもったいないと思っているのかもしれません」
 そう言うと鉛筆を置き、彼女は机の上の紙を整理し始めた。時計を見るとそろそろ昼休みが終わる。ここで言わないといけないことがある。皆が来てしまっては言えなくなる。
「デートがキャンセルになったんだろ?」
「はい」
 一瞬間を置いたが彼女ははっきりと答えたので、俺は彼女を誘うことにした。
「じゃあ俺と飲みに行こうよ」
「黒瀬さんとですか? 危ないなあ」
 そう言って笑い、
「私お金持ってませんよ。ご馳走して下さいね」
と首を傾げた。
 男から誘う時は言葉に出さずとも男が払うものと決まっている。女も何も言わずついて来る。そしていざ支払いとなると、私払います、いいや俺がのお定まりの押し問答の末、結局男が払うことになる。その時の男と女のお愛想笑いってやつは、全く傍から見ていて鳥肌が立つ。その辺の女は皆そうだ。端から払う気なんか無い癖に。それが証拠に、じゃあ割り勘でと言ってみろ。二度と誘いにゃ乗らねえぞ。彼女は払わないと言ったので、俺は別の意味で金のことを気にしなくて済む。酒も旨いというものだ。皆がこうだとスッキリするのだが、勘違いしているお嬢さん方の何と多いことよ。
 他の社員は5時を過ぎるとすぐに退社したが、森田秋子は終業時間を1時間過ぎてからようやくプログラミングを切り上げ、制服から着替えるためにロッカールームへ入った。俺は作業用のジャンパーを脱いで椅子の背に掛けた。そして彼女の椅子に座ってみた。背の低い彼女の椅子は俺のより高い。これに座ると彼女は床に足が届かない。いつも机の脚と脚の間に渡したレールのような物に片足を置き脚を組んで座っている。わざとらしくもなくその座り方が大人びている。机の上には実用的だが地味ではないペンスタンドも兼ねたメモ台が置いてあるだけだ。そのメモ用紙の端に、カーディガンと小さく書いてある。おそらく冷房が寒過ぎるのでカーディガンを用意しようとでも思ったのだろう。他には何も無い。女子特有のマスコット人形だの、キャラクターの絵の付いた小物入れだの微塵の影も無い。無人の机のようだ。引き出しの中を見たいと思ったが、その時ロッカールームのドアが開き彼女が着替えを終えて出て来た。速い。女の着替えはどんなに急いでも15分はかかると思っていたのだが、間違いだった。5分しか経っていない。ブラウスとスカートを脱いで、白いTシャツと紺のタイトスカートに着替え、サンダルをパンプスに履き替えただけだ。化粧は直さないのだろうか。髪をブラシで梳かしたりしないのだろうか。小さ目のクラッチバッグを脇に抱え、片手で前髪を掻き上げながら歩いて来た。
「お待たせしました」
 椅子から立ち上がったまま俺はあっけに取られていた。彼女の椅子に腰掛けていたことに対する照れもあって、わざとらしくどもってしまった。
「は、速いね」
「そうですか?」
 気にしている風でもなく、彼女は先に立って歩き出した。俺は3歩離れて歩きながら改めて後ろから彼女の体を眺めた。長いソバージュの髪がブラの線で綺麗に揃っている。ギターラインのウエストは58㎝というところか。ヒップは幅が広くなく形良く突き出し、その周りにタイトスカートがピッタリと張り付いている。脚は細くも長くもないし脚線美というわけでもないが、全体的にバランスが取れている。胸は・・・うーむ、この身長にしては大きい。だが胸は曲者だ。ブラでいくらでも変えられる。この体にいつか触れる時が来るだろうとまるで予知するかのように思った。
 エレベーターで5階から1階まで無言で過ごし、さてどこへ行こうかと口を開きかけた時、受付の手前にいる3人の中の1人が俺たちをみつけると話しかけてきた。
「あ、丁度良かったよ」
 セクションワンのサブチーフ、情報処理専門学校出身、俺と同期入社、27歳の若杉だ。俺たちより早く出たはずだがまだたむろしていたのか。こいつも森田秋子に目を付けた狼たちの1人だ。俺が新人指導のためだと彼女と机を並べたことを職権乱用だの公私混同だのと捲し立て、しまいには絶対に邪魔をしてやるぞと冗談なのか本気なのか判断しかねる顔で言ったのだ。今は笑って俺を見ているが、うまいことやりやがってと思っているに違いない。
「これから渋谷に繰り出そうと言っていたところだ。どうだ、ついでだから森田君の歓迎会でもやろうじゃないか。お、来た来た、あいつらも歓迎してやろう」
 エレベーターから降りて来たのは他のチームに配属された男2人だ。可哀想にプライドの高い女狐どもには相手にされなかったと見える。
「7人か。黒瀬、良いだろう? 今日は新人はロハということで、渋谷のパブ辺りで大人の飲み会と行こう」
 3人の新人を目の前にして随分「大人」ぶっている。鼻白む思いだが、そりゃ良い考えだとばかりに表面的に同意して今日のところは若杉に従うことにする。
 受付のガードマンにIDカードを見せセキュリティドアのロックを外してもらうと、ムッとする夏の空気の中に俺たちは出た。今まで冷房の効いたビルの中に居てサラサラだった肌に、じわっと汗が滲んだ。俺はワイシャツの袖を折り返した。森田秋子は右手で前髪を掻き上げた。
 今年の梅雨は空梅雨でダムの水は干上がって水瓶としての機能を失っている。給水制限の解除がいつになるか見通しが立っていない。台風も熱帯性低気圧に変わるばかりで必要な所に満足に雨を降らせてくれない。その上この夏は猛暑酷暑。9月は残暑が厳しいと予想されている。人間なんて勝手なもので、冷夏だと海に行けないとブーブー言い、こう暑いと早く秋が来れば良いと思う。その癖冬が早くやって来ると寒いのはイヤだとぶつくさ言う。今、青山通りを地下鉄の駅に向かって歩く俺たちは何も言わずにいるが、それぞれ胸の中には夏に対する様々な思いがひしめいているだろう。
「暑いですね」
 7人の沈黙の中に彼女の声が響いた。誰に話しかけたわけでもないのに一番近くに居た若杉がそれに答えた。
「ほんとに」
「夏は暑いのが好きですけどビルから出た瞬間はイヤ。服のまま湯船に浸かっているみたい」
 ハッハッハッと大声で笑ったのは新入りの1人。奴は彼女の肩に腕を回して、森田さんうまいこと言うよと言った。この男、田中というが何かと彼女に近付きたがる。若杉は敵は1人ではないと悟った様子でチラリと俺を見た。俺は苦笑して見せたが奴がどう受け取ったかは知らない。
 半蔵門線の青山一丁目駅は新しいせいもあって綺麗で涼しい。一瞬汗は引いたのだが、電車に乗るとこもった暑さと人いきれでまた汗が滲む。その瞬間は全く森田秋子の言う通り、着衣の入浴だ。
 若杉がボトルをキープしているからと俺たちは公園通りを歩かされ、行き付けだというところのカフェバーに席を設けた。何を高級ぶっているんだ若杉。森田秋子を意識してのことだろうが、彼女はこんなことではよろめかないぞ。見ろ、俺に向かって肩をすくめた。
 さっき森田秋子に触れた田中は―国立の理系学科出身で彼女より1歳下だ―彼女から離れず自然に隣の席に着くことになり、若杉は彼女の正面に座った。俺は他の3人を座らせてから端の席に着いた。新人と旧人が向かい合う形になった。奇数なので俺の前には誰も居ない。
「『雨の日と月曜日は』を初めて聴いた時・・・」
 スウィンググラスのブランデーアメリカンを一口コクリと飲み込んで、彼女は若杉に話しかけている。やめとけやめとけ、若杉は横文字はまるでダメだ。カーペンターズだなんてそれが大工を意味することだって知りゃしない。ところが若杉の奴、聞いたことがあると言いやがった。俺は椅子の背にもたれて天井を仰いだ。彼女はこちらをチラリと見たが構わず続けた。
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