いつもスウィング気分で
「今日一日何して過ごそう」
ゆっくり食事しながらのんびりとよしなしごとを語り、午前中は潰れた。
「雨の似合う町ってどこかしら」
「雨の似合う町・・・表参道かな」
「月並みな発想ね」
「思い浮かばないよ」
「雨の休みはいつも何してた?」
「車で首都高ぶっ飛ばしてた。君は?」
「私? 私は・・・彼の相手をしてたわ」
「一日中?」
「そう、一日中」
「どんな風に?」
「フルコースよ。頭のてっぺんから足の裏まで」
「君が彼の?」
「いいえ、彼が私の」
「良い気持ちだった?」
「愛してた頃はね。終いには苦痛でしかなかったわ」
「俺もそうなるかな」
「かもね」
「じゃあ今のうちは君もまだ迷惑じゃないんだろうから、今日は一日中そうしていることにしよう」
「そうするって、何をどうするの?」
「脱げよ」
「乱暴ね」
食事の後片付けもそこそこに彼女をベッドまで引っ張って、セーターに手をかけた時、皮肉にもまた電話がかかって来た。キリキリとしつこく彼女を呼ぶ。構わず脱がそうとする俺の手を払いのけ、彼女は起き上がった。
「若杉だったら切っちまえ」
野望を打ち砕かれた狼は惨めにもベッドの上で萎れてしまった。
「はい・・・ああ、シュウ? ごめんなさいね。迷惑かけちゃって・・・そうなのよ・・・そう・・・そう・・・そんな事までしたの? 非常識な人ね。まさか、何の関係も無いわよ。触るのもイヤよ・・・そんな・・・うん・・・ダメだってば。切るわね、じゃ」
彼女は彼を「シュウ」と呼んだ。名前を呼ぶのを聞いたのは初めてだ。親し気な優しい響きの彼女の呼び方に不安がよぎった。
「何だって?」
「若杉さんたら部屋の中まで入ろうとしたんですって。無精髭を生やしてチンピラみたいだって。彼、若杉さんをイイ男だって言ってた」
若杉も「シュウ」をイイ男だと言っていた。俺は会ったことが無い。顔を見るまでに至っていない。「シュウ」も俺を知らない。存在さえ無いはずだ。
「シュウって呼んでたよ」
「え?」
「電話で彼のことそう呼んでた」
「あ、そう? 山崎秀也だからシュウよ。知らなかったかしら」
知ってたさ。代々木上原のマンションのネームプレートに2人の名前が並んでいた。部屋を出る時、君は自分の名前を切り取った。
「続きは?」
「やめとこう。気がそがれた」
君に纏わりつく男の影に俺はいつも押しのけられる。俺だって負けないくらい女の匂いを染み込ませているはずなのだが、君はまるで頓着しない。何故そんなに冷めているんだ。
「電話よ。あなたの電話が鳴ってる」
もたもたしていると彼女がスピーカーの上から電話を運んで来た。ベッドに仰向けのまま受話器を耳に当てた。今日はよく電話のかかって来る日だ。
「独り?」
若杉の声を想定していた俺の耳に飛び込んで来たのは女の声だ。笹木京子、いいや沢口京子・・・どっちだって良い。
「いいや、独りじゃない」
「優しくないのね。嘘くらい吐いてくれても良いのに」
「君に嘘を吐いても君はすぐに暴くじゃないか」
「うまく行ってないの?」
「馬鹿な」
「あなたの声は正直なのよ」
「今日は何だ」
「会えないかしら」
「いつ」
「今よ」
「どこで」
「どこでも良いわ。あなたの部屋でも」
「無理だよ」
「冗談」
「何の用だ」
「話したいの」
「良いよ、話せよ」
「ううん、会って話したいの」
「さわりだけでも良いから話せよ」
「さわりが全てなの」
「わかった」
「何が」
「別れたんだろ」
「当たり」
「子どもはどうした」
「取られたわ。大事な跡継ぎですって」
「まるで物だな」
「そんな風に言わないで。辛いのよ」
「こないだの電話もそれか」
「まあね。家裁で揉めてたの」
「なるほど」
「会いたいわ」
「そうだな」
「今度はまた随分素直ね」
「馬鹿」
「私の部屋へ来てくれる?」
「独りで住んでるのか」
「そうよ」
「どこに?」
「昔住んでたとこのすぐ近く」
「高田馬場」
「覚えててくれたのね」
「忘れるわけないさ。俺も半分はそこに住んでたんだから」
「来て。ビッグボックスの前で待ってる」
「車で行くよ」
電話の間森田秋子は俺から見えないところに居た。話し声は聞こえたと思う。電話をスピーカーの上に戻した俺を見て、行ってらっしゃいと言った。秋子に当てつけるために京子に会うわけではない。殊更京子に会いたいわけでもない。弾みという他に今の俺の気持ちは言い表せない。
「君はどうしてる?」
「決めなきゃいけない?」
少しは妬いてくれてるのかな。目を逸らす彼女の横顔が少し膨れているように見える。
白いコットンパンツに白いポロシャツを着た。鏡に映る自分を見た。髪を伸ばせば大学生に見えないだろうか。10年近く会っていない京子。子どもを産んで変わってしまっただろうか。俺の後ろにいる秋子が今手を振った。ケッズを引っ掛けて外に出た。途端に白装束にしたことを後悔した。今日は雨なのだ。良いさ、どうせ車だ。傘は京子が持っていよう。
早稲田通りへ出て山手線をくぐったところで車を停めた。しつこい雨が視野を狭めている。人だかりのするビッグボックスの前に視線を巡らして、見覚えのある人物を探した。昔の彼女のレインコートは赤だった。無意識に赤いレインコートの女性に目が止まる。だがどれも京子ではない。エンジンをかけたまましばらく待っていることにした。車の中で聴く雨の音は昔の女に会いに来た男の気持ちを落ち着かなくさせる。前に駐車していた車がどいたので、その位置へ移動した。エンジンを止めようとしてキーに手を伸ばした時、俺の車の前を足早に黒い影が横切り、助手席の窓を叩いた。京子だ。腰まであった長い髪はバッサリと切り落とされ、とても短いショートヘアになっていた。レインコートは赤ではなく黒だ。ロックを外してやるとドアを開け乗り込んで来た。パサパサと、これも黒い傘を閉じながら慌ただしく、久し振りね、と言った。
「何よ、何か言ったらどうなの」
京子と秋子は雰囲気が似ている。俺が秋子に魅かれたのは京子の面影を追い求めていたからだろうか。10年振りに京子に会ってそのことに気が付いた。大発見だ。俺も結構女々しいんだなあ。
「何見てるのよ、陽一」
「あんまり懐かしくてさ、声も出ないってとこだ」
「ロマンチストだったかしら」
「何から話そうか」
「昔の事を回想するのはやめましょう」
「そうだな」
大学時代京子が住んでいたアパートの方へと車を向けた。そこを右へ次を左へと一方通行の道をぐるぐる案内され、ここよと言われて車を停めた所は、昔住んでいたアパートの真裏だった。3階建てのアパートだ。
「どうしてまたここに住むことにしたんだ」
車のドアをロックし、砂利の上をジャラジャラ歩いて京子のさす傘の下に立った。京子は身長が162㎝、秋子より大きい。肩に手をかけた。昔からそうだったかもう忘れてしまったが、秋子よりは肉付きが良い。
「この町しか知らないもの」
女の少ない学部に居て京子のようなイイ女は希少価値だった。チヤホヤされる状況に居ても決して甘えず、そのせいか必要以上に男に対して挑戦的だった。そうだ、今の秋子のように。だが今俺の目の前に居る京子には、もうそんな強さが感じられない。京子、お前ももうすぐ30なんだな。
「子どもはいくつだっけ」
「3歳」
「男?」
「うん」
「それで跡継ぎって訳か」
そのことには触れたくないと言うように俺に背中を向け、先に立って歩くとカンカンと音を立てて階段を上り、すぐの部屋のドアにキーを差し込んだ。3畳ほどのキッチンの向こうに6畳の部屋が1つあるだけの寂しい部屋だ。家具らしき物は何も無い。勿論見覚えのある物も何1つ無い。
「彼女には何て言って来たの」
「別に何も」
「浮気したら怒られちゃうわよ」
「そんなんじゃないよ。ただの同居人だから」
「あら、男と女のただの同居?」
「そう」
「寝ないの?」
「寝るさ。ベッドは幸か不幸か1つしか無い」
「自由契約ってとこね」
「まあそんなもんかな」
「いくつ?」
「23・・・4になったかな」
「若い子を騙しちゃダメじゃないの」
炬燵兼用のテーブルの一辺を俺に与えると京子はコートを脱いだ。冬にはまだ遠いというのに炬燵にはヒーターが取り付けられたままだ。おそらく1年中外すことをしないのだと思う。細かいことは気にしないのが京子だ。冷蔵庫から缶コーヒーを持って来た。
「こんなのしか無いの」
京子は料理をしない。やれば出来るのだろうがやろうとしない。嫌いなのだ。女だからって家事が好きじゃなきゃいけないってことはないのよとよく言ってたっけ。
「彼女は上手?」
「うん、上手いよ」
「そう、良かったわね」
「何故離婚したんだ」
「嫌いになったからよ」
「簡単だな」
「つまらない男なんだもん」
「好きで結婚したんだろ」
「弾みよ。たまたま話がスムーズに運んじゃったの。愛してたわけじゃない」
ゆっくり食事しながらのんびりとよしなしごとを語り、午前中は潰れた。
「雨の似合う町ってどこかしら」
「雨の似合う町・・・表参道かな」
「月並みな発想ね」
「思い浮かばないよ」
「雨の休みはいつも何してた?」
「車で首都高ぶっ飛ばしてた。君は?」
「私? 私は・・・彼の相手をしてたわ」
「一日中?」
「そう、一日中」
「どんな風に?」
「フルコースよ。頭のてっぺんから足の裏まで」
「君が彼の?」
「いいえ、彼が私の」
「良い気持ちだった?」
「愛してた頃はね。終いには苦痛でしかなかったわ」
「俺もそうなるかな」
「かもね」
「じゃあ今のうちは君もまだ迷惑じゃないんだろうから、今日は一日中そうしていることにしよう」
「そうするって、何をどうするの?」
「脱げよ」
「乱暴ね」
食事の後片付けもそこそこに彼女をベッドまで引っ張って、セーターに手をかけた時、皮肉にもまた電話がかかって来た。キリキリとしつこく彼女を呼ぶ。構わず脱がそうとする俺の手を払いのけ、彼女は起き上がった。
「若杉だったら切っちまえ」
野望を打ち砕かれた狼は惨めにもベッドの上で萎れてしまった。
「はい・・・ああ、シュウ? ごめんなさいね。迷惑かけちゃって・・・そうなのよ・・・そう・・・そう・・・そんな事までしたの? 非常識な人ね。まさか、何の関係も無いわよ。触るのもイヤよ・・・そんな・・・うん・・・ダメだってば。切るわね、じゃ」
彼女は彼を「シュウ」と呼んだ。名前を呼ぶのを聞いたのは初めてだ。親し気な優しい響きの彼女の呼び方に不安がよぎった。
「何だって?」
「若杉さんたら部屋の中まで入ろうとしたんですって。無精髭を生やしてチンピラみたいだって。彼、若杉さんをイイ男だって言ってた」
若杉も「シュウ」をイイ男だと言っていた。俺は会ったことが無い。顔を見るまでに至っていない。「シュウ」も俺を知らない。存在さえ無いはずだ。
「シュウって呼んでたよ」
「え?」
「電話で彼のことそう呼んでた」
「あ、そう? 山崎秀也だからシュウよ。知らなかったかしら」
知ってたさ。代々木上原のマンションのネームプレートに2人の名前が並んでいた。部屋を出る時、君は自分の名前を切り取った。
「続きは?」
「やめとこう。気がそがれた」
君に纏わりつく男の影に俺はいつも押しのけられる。俺だって負けないくらい女の匂いを染み込ませているはずなのだが、君はまるで頓着しない。何故そんなに冷めているんだ。
「電話よ。あなたの電話が鳴ってる」
もたもたしていると彼女がスピーカーの上から電話を運んで来た。ベッドに仰向けのまま受話器を耳に当てた。今日はよく電話のかかって来る日だ。
「独り?」
若杉の声を想定していた俺の耳に飛び込んで来たのは女の声だ。笹木京子、いいや沢口京子・・・どっちだって良い。
「いいや、独りじゃない」
「優しくないのね。嘘くらい吐いてくれても良いのに」
「君に嘘を吐いても君はすぐに暴くじゃないか」
「うまく行ってないの?」
「馬鹿な」
「あなたの声は正直なのよ」
「今日は何だ」
「会えないかしら」
「いつ」
「今よ」
「どこで」
「どこでも良いわ。あなたの部屋でも」
「無理だよ」
「冗談」
「何の用だ」
「話したいの」
「良いよ、話せよ」
「ううん、会って話したいの」
「さわりだけでも良いから話せよ」
「さわりが全てなの」
「わかった」
「何が」
「別れたんだろ」
「当たり」
「子どもはどうした」
「取られたわ。大事な跡継ぎですって」
「まるで物だな」
「そんな風に言わないで。辛いのよ」
「こないだの電話もそれか」
「まあね。家裁で揉めてたの」
「なるほど」
「会いたいわ」
「そうだな」
「今度はまた随分素直ね」
「馬鹿」
「私の部屋へ来てくれる?」
「独りで住んでるのか」
「そうよ」
「どこに?」
「昔住んでたとこのすぐ近く」
「高田馬場」
「覚えててくれたのね」
「忘れるわけないさ。俺も半分はそこに住んでたんだから」
「来て。ビッグボックスの前で待ってる」
「車で行くよ」
電話の間森田秋子は俺から見えないところに居た。話し声は聞こえたと思う。電話をスピーカーの上に戻した俺を見て、行ってらっしゃいと言った。秋子に当てつけるために京子に会うわけではない。殊更京子に会いたいわけでもない。弾みという他に今の俺の気持ちは言い表せない。
「君はどうしてる?」
「決めなきゃいけない?」
少しは妬いてくれてるのかな。目を逸らす彼女の横顔が少し膨れているように見える。
白いコットンパンツに白いポロシャツを着た。鏡に映る自分を見た。髪を伸ばせば大学生に見えないだろうか。10年近く会っていない京子。子どもを産んで変わってしまっただろうか。俺の後ろにいる秋子が今手を振った。ケッズを引っ掛けて外に出た。途端に白装束にしたことを後悔した。今日は雨なのだ。良いさ、どうせ車だ。傘は京子が持っていよう。
早稲田通りへ出て山手線をくぐったところで車を停めた。しつこい雨が視野を狭めている。人だかりのするビッグボックスの前に視線を巡らして、見覚えのある人物を探した。昔の彼女のレインコートは赤だった。無意識に赤いレインコートの女性に目が止まる。だがどれも京子ではない。エンジンをかけたまましばらく待っていることにした。車の中で聴く雨の音は昔の女に会いに来た男の気持ちを落ち着かなくさせる。前に駐車していた車がどいたので、その位置へ移動した。エンジンを止めようとしてキーに手を伸ばした時、俺の車の前を足早に黒い影が横切り、助手席の窓を叩いた。京子だ。腰まであった長い髪はバッサリと切り落とされ、とても短いショートヘアになっていた。レインコートは赤ではなく黒だ。ロックを外してやるとドアを開け乗り込んで来た。パサパサと、これも黒い傘を閉じながら慌ただしく、久し振りね、と言った。
「何よ、何か言ったらどうなの」
京子と秋子は雰囲気が似ている。俺が秋子に魅かれたのは京子の面影を追い求めていたからだろうか。10年振りに京子に会ってそのことに気が付いた。大発見だ。俺も結構女々しいんだなあ。
「何見てるのよ、陽一」
「あんまり懐かしくてさ、声も出ないってとこだ」
「ロマンチストだったかしら」
「何から話そうか」
「昔の事を回想するのはやめましょう」
「そうだな」
大学時代京子が住んでいたアパートの方へと車を向けた。そこを右へ次を左へと一方通行の道をぐるぐる案内され、ここよと言われて車を停めた所は、昔住んでいたアパートの真裏だった。3階建てのアパートだ。
「どうしてまたここに住むことにしたんだ」
車のドアをロックし、砂利の上をジャラジャラ歩いて京子のさす傘の下に立った。京子は身長が162㎝、秋子より大きい。肩に手をかけた。昔からそうだったかもう忘れてしまったが、秋子よりは肉付きが良い。
「この町しか知らないもの」
女の少ない学部に居て京子のようなイイ女は希少価値だった。チヤホヤされる状況に居ても決して甘えず、そのせいか必要以上に男に対して挑戦的だった。そうだ、今の秋子のように。だが今俺の目の前に居る京子には、もうそんな強さが感じられない。京子、お前ももうすぐ30なんだな。
「子どもはいくつだっけ」
「3歳」
「男?」
「うん」
「それで跡継ぎって訳か」
そのことには触れたくないと言うように俺に背中を向け、先に立って歩くとカンカンと音を立てて階段を上り、すぐの部屋のドアにキーを差し込んだ。3畳ほどのキッチンの向こうに6畳の部屋が1つあるだけの寂しい部屋だ。家具らしき物は何も無い。勿論見覚えのある物も何1つ無い。
「彼女には何て言って来たの」
「別に何も」
「浮気したら怒られちゃうわよ」
「そんなんじゃないよ。ただの同居人だから」
「あら、男と女のただの同居?」
「そう」
「寝ないの?」
「寝るさ。ベッドは幸か不幸か1つしか無い」
「自由契約ってとこね」
「まあそんなもんかな」
「いくつ?」
「23・・・4になったかな」
「若い子を騙しちゃダメじゃないの」
炬燵兼用のテーブルの一辺を俺に与えると京子はコートを脱いだ。冬にはまだ遠いというのに炬燵にはヒーターが取り付けられたままだ。おそらく1年中外すことをしないのだと思う。細かいことは気にしないのが京子だ。冷蔵庫から缶コーヒーを持って来た。
「こんなのしか無いの」
京子は料理をしない。やれば出来るのだろうがやろうとしない。嫌いなのだ。女だからって家事が好きじゃなきゃいけないってことはないのよとよく言ってたっけ。
「彼女は上手?」
「うん、上手いよ」
「そう、良かったわね」
「何故離婚したんだ」
「嫌いになったからよ」
「簡単だな」
「つまらない男なんだもん」
「好きで結婚したんだろ」
「弾みよ。たまたま話がスムーズに運んじゃったの。愛してたわけじゃない」