いつもスウィング気分で
「田中は君のことが好きみたいだな」
 急な坂をゆっくりと上りながら俺は言った。
「随分積極的に君にアプローチしてるだろ」
「研修中からそうでした。しつこいわけじゃないんですけど」
「君が同棲してるってこと知ってるんだろ」
「そうです。彼に一番最初に知られちゃいました」
「セクションが違うってのに端末使いにくるし」
「すみません」
「君が謝らなくて良いよ。セクションツーの女どもは気に食わないみたいだけどね」
「女ってそういうことやっかみますよねー」
 坂を上り切って左へ右へと行くと、彼女と彼が住むマンションがあった。坂道はきついが男の足なら五分程で着く距離だ。白亜の5階建て。10余戸の個人経営のマンションだ。部屋代は12万とちょっとだそうだ。1人ではとても払える額ではない。
「ちょっと部屋に入りませんか」
 その気も無い癖に彼女はエレベーターの前で俺に言った。夜中に1人でエレベーターに乗るのは怖いから一緒に居て欲しいと言ったすぐ後だった。
「いやぁ、男がいつ現れるかわからない部屋には居たくないよー」
 と少しおどけて答えたのはもう1人の俺で、本心は彼女の肩を抱いて俺が部屋の鍵を開けドアを開け、そうしてそのまま朝迄居たいのだ。出会ったばかりでとか彼氏が居るのにとか、そういうことにこだわる俺ではない。男なら誰でも思うことだし、俺は今迄それを思うままに実行して来た。
 彼女が部屋の中に入るのを見届けて、俺は非常階段を使って地上まで下りた。3階からゆっくり下りている間に引き返そうと何度も思った。学生時代の俺なら引き返しただろう。それほど好きでなくてもちょっとイイ女なら抱けたあの頃。まるで昆虫採集でもするように女の身体を求めていた。快楽など大して感じてもいなかった。相手のことなどもちろん考えていなかった。だが、これから彼女をそんな風には扱えない。イイ女を抱きたいという気持ちは昔と変わらないが、彼女には何故か手が出ない。
 終電には余裕で間に合うが、駅に向かう気になれず井の頭通りに出てタクシーを拾った。冷房の利いていない個人タクシーに当たってしまった。ついてない。
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