いつもスウィング気分で
その言葉を期待してはいたものの、突然だったので俺は答えに詰まった。だがすぐに無言でうなづいた。お互いに相手の出方を伺いながら手を出すチャンスを狙っている。手の内をさらけだせば一瞬にして終わってしまうゲームだが、それではあまりにも醜い。傍から見れば俺も彼女も下心見え見えなのだろうが、自分たちにとってはいかに相手の下心に気付かない振りをするかも大切なルールだ。一気に踏み込んで破壊的な行動をしたとしても、お互いに相手に恥をかかせないように、また、自分も格好が付くように演じるのが火遊びの上手な楽しみ方さ。スマートさが無くなってしまったらおしまい。これからが俺の本領発揮というところ。彼女も決して邪魔をしないと思う。その辺の淫乱無垢な女どもとは違うはずだから。
喫茶店を出る時も彼女は金を出そうとしたが、俺はそれを遮った。彼女はまたありがとうございますと言った。
俺たちは随分ゆっくり歩いた。足が重いわけではない。ただ俺の部屋に向かう道をこうやって腕を組んでゆっくり歩きたかった。腕を組もうと言い出したのは彼女の方だ。首を傾げて俺を見上げる彼女の腕を取って、俺は自分の腕に絡ませた。彼女の腕はヒンヤリとしていた。俺の腕は汗ばんでいる。歩きながら俺たちは何も話さなかった。俺は歩道のアスファルトに響く彼女のヒールの音に耳を傾けていた。彼女はうつむいて自分のつま先を見ているようだった。
マンションのガードマンはいつもの恐いおじさんだったが、ちらりと一瞥をくれただけで全く俺たちを無視した。
部屋に入ると彼女は真っ直ぐにソファに向かい腰掛けた。ゆっくりと部屋の中を見回している。
「アラミスの香りがする」
「フランスに居る友達からのプレゼントなんだ。俺には香水なんて高尚な趣味は無いよ」
「本場のアラミス・・・女性から?」
「いいや、残念ながら男」
小川がフランスに行ったばかりの頃、安月給の中から奮発して買って送ってくれた。確か俺の就職祝いか何かだったと思う。それが まだ残っている。自分のためには決して買えない価格だと後で知った。
俺は電動のコーヒーミルにマンデリンを2杯分入れスイッチを入れた。一瞬耳をつんざくような音がしたが、すぐにカラカラと軽い音になった。コーヒーメーカーに水を入れ、挽いた豆をセットし、これもスイッチを入れた。暫くすると湯が沸き出しコーヒーが2杯出来上がる。
「がらんとした部屋ですね。ベッドルームはここ?」
彼女は腰掛けたまま自分の背後を肩越しに指差した。俺は黙ってドアを開けた。正面の壁に向けてベッドが置いてある。コットンのベッドカバーを無造作に掛けてある。夏の間はそれ1枚を掛けて寝ている。右側は窓。ブラインドは下げたままで、滅多に窓を開けない。ベランダに雨ざらしのスパイクタイヤが4本、処分されるのを待っている。左側はキッチンへの引き戸。居間からキッチンへはオープンで、扉が無い。俺はベッドルームへ行き灯りを付けた。彼女は俺から目を逸らしている。ベッドが何だか生々しい。
「部屋が涼しいのはね、空調が効いているからなんだ。自動的に調節してくれているんだ」
間が悪い。今のこの空気を取り繕えない。下手な小細工はやめよう。滑稽だ。何だかいつもの彼女と違う。俺はわざと彼女に気まずい思いをさせるため、ベッドに腰掛け真っ直ぐに彼女をみつめた。何か言えよ、君をベッドに誘い易いようにしてくれよ。
その時サイドボードの上のコーヒーメーカーのスイッチがカチリと音を立てて切れた。コーヒーが出来上がった。俺はそこへは行かず、彼女の首に背後から腕を絡ませ耳元で囁いた。
「アイスコーヒーにしようか」
細かく首を縦に振って彼女は返事をしたが、顔はますます背けられ、ソバージュの髪が俺の鼻に触れた。項にキスをしたいのをグッと堪え、俺は背の高いグラスにアイスコーヒーを作った。
彼女のコーヒーを俺は知っている。砂糖は入れない。その代わりミルクはたっぷり。ホットもアイスも同じだ。ストローなどこの部屋には無いので、そのまま彼女に手渡した。
「ありがとう」
そう言って彼女は俺を見た。熱い、視線が熱い。その熱い視線を受けて同じ熱さで俺も彼女を見た。右手にグラスを持ち、その手を膝にのせて彼女は座っている。1歩、彼女に歩み寄ろうとした時、スピーカーの上に置いた電話が鳴り出した。
「ちょっとごめん」
良いムードになりつつあったのに、全くどこのどいつだ、邪魔しやがって。こんなもんさ、人生なんて。よくあることだ。
「はい」
少し不機嫌に応答した。
「あ、あたし」
相手もそれを察したのか、申し訳なさそうに声を出した。え? 女?
「わかる?」
とその声は言った。記憶の波がどっと押し寄せてそして引いた。砂浜に1人の女の名前が残された。
「笹木京子」
俺がそう言うと電話の向こうで、ふふ、と笑った。びっくりだ。驚いた。今更電話して来るなんて。
「今は沢口京子よ」
笹木京子は言った。
「結婚したのか」
「まあね。それだけじゃないわ。子どもも生まれたのよ」
「へえ、それはおめでたい」
森田秋子に気を遣って俺は不機嫌な声のまま話していた。相手が女だとバレてしまっていたし、学生時代の切ない青い恋の思い出に声がくぐもってしまっては、今夜はうまく行きそうにない。
「誰か居るの?」
「まあね」
「女?」
「まあね」
「良いのよ、切っても」
「良いよ、話せよ。用は何だ」
「そんな訳よ」
「そんな訳って?」
「私は結婚して子どもも出来て幸せになりましたって訳」
「そうか、それは良かった」
「昔のこと覚えてる?」
「覚えてるさ」
「楽しかったわね。若かったし」
「そうだな」
「怒ってる?」
「いいや」
「そう。許してくれてるんだ」
「俺が悪かったんだ」
「私も悪かったわよ」
「何だよ」
「何が?」
「本当の用は何だ」
「・・・」
「客が来てるって言ったろう」
「相変わらずね」
「何が」
「人の扱い方が相変わらず邪険よ。一緒の女性が苦労するわ」
俺はため息を付いた。君だって変わってないさ。持って回った言い方をする。
「あのね」
「え?」
「今でも好きよ」
「何だ」
「何だは無いでしょ」
「つまらないことで電話するなよ」
「つまらないことじゃないわ。夫も子どももある身であなたのことを好きだって言ってるのよ」
「客が居るんだ。今はその手の話はやめてくれ」
ちらりと森田秋子を見た。両掌でグラスを包み込むように持ち、うつむいている。
「しっかりしろよ。母親になったんだろ」
「ひどい言い方ね。私、あなたを忘れるのに隋分苦労したのよ」
それは俺だって同じさ。あの時君は俺に相談もせず独りでお腹の子を処分すると決めてしまったんじゃないか。あの頃は2人ともまだ学生だった。どうしようもなかった。
「今の幸せを逃すんじゃないぞ」
笹木京子は、いいや沢口京子はもっと何か言いた気だ。だがそれ以上邪魔をしようとせず、あなたもねと言い電話を切った。受話器を置いて森田秋子を見た。彼女は俺を見てニヤリと笑った。そして言った。
「当ててみましょうか」
俺もニヤリと笑った。照れ笑いだ。
「当たりだよ、君の思った通りさ」
彼女は軽くのけぞって笑った。
「イヤだ、まだ何も言ってないのに」
「良いよ、昔の傷を言い当てられるのはたまらない」
特に君にはね。
彼女はラタンのテーブルのガラスの上にカチリとグラスを置いた。神妙な顔になった。テーブルに近付き俺は彼女の足元に腰を下ろした。彼女が俺の肩に手を置いたので、その手を引っぱると、彼女はソファからストンと降りてカーペットに座った。彼女の髪を掻き上げて自分の顔を近付けた。彼女は目を閉じた。俺の唇を彼女の唇に、俺の腕を彼女の体に。
「どうして私なんか」
「イイ女だから」
「私、高いわよ」
「わかった、いずれ払う」
1つ1つボタンを外さなければならないワンピース。ベルトの上に7個、下に10個。まずベルトを外した。
「ごめんなさい。面倒臭いの着て来ちゃった。自分で脱ぎます」
立ち上がってベッドの傍まで歩いて行った。俺から見える所で俺に背を向け、彼女はゆっくりとボタンをはずし始めた。後ろからはずれて行くボタンが露わにする彼女の白い胸を思った。肩からするりと服は落ちた。現れたのは赤と紺のストライプのショーツを履いただけの彼女の体だった。
「何だか振り返れない」
彼女は両腕で胸を覆ってうつむいている。テーブルの上のアイスコーヒーは2つとも氷が融け、テーブルのガラスが水滴で濡れている。立ち上がり、彼女の傍まで行った。背中から抱きすくめると思ったよりずっと小さい彼女の肩が一瞬こわばった。胸に手を伸ばした。ノーブラだったとは気付かなかった。そう言えば腕を組んでいた時、肘にふわりと柔らかい感触があったような。そしてその胸は手にひんやりと冷たく感じられ、乳房は掌にいっぱいになった。服を着ているとわからないものだ。少し強く握りしめると、彼女は小さく、イヤと言ってようやく俺の方を向いた。真っ直ぐ俺を見、暫く2人はみつめ合っていた。ムスクの香りが俺の中の男をくすぐる。たまらない。むさぼるように抱きしめると、妙に冷めた声で彼女は言った。
「もっと早くこうなると思ってたわ」
彼女の髪に顔を埋めたまま腕の力を抜いて俺は言った。
「君は手強い」
配属された日、あの蒸した会議室で彼女が俺に送っていたパルスを俺は思い返していた。大学時代の俺なら、あの日廊下ですれ違ったあの時に勝負を決めていたはずだ。バイト先で知り合った女、ディスコで引っ掛けた女、学食で隣り合わせた女・・・森田秋子が他のどの女とも違うと見抜きながら、何故こんなにも手こずってしまったのか。軽く振る舞いながら慎重に構えていたのは何故なんだろう。男が居たからか? いいや、そんなことではない。多分・・・彼女が俺と似ているからだ。考え方、生き方、心や体に受けた傷の数、形・・・。
「私たちうまく行くと思う?」
「取り敢えず今夜は上手く行くように努力する」
彼女は俺の首に腕を回したままのけぞって笑った。喉から下腹までしなやかに伸びる彼女の体、肩から胸にかけての豊かな線。小さいが迫力のある体をしている。胸がとりわけ白く見えたのは、去年の夏のビキニの跡だろうか。それともまだ焼き切らない七月の海のものだろうか。まだ遅くないさ、俺と海に行こう。
ベッドカバーはそのままに彼女が横たわっている。それを見下ろしながら俺も裸になった。彼女の上に重なる。
「君の中に入る前に訊きたいことが2つある」
「1つ目は?」
「1年中ムスク?」
「いいえ、季節によって変えるわ。2つ目は?」
「この部屋に来れば?」
彼女は、ふふふとさも可笑しそうに笑った後、今夜上手く行ったらね、と答えた。
喫茶店を出る時も彼女は金を出そうとしたが、俺はそれを遮った。彼女はまたありがとうございますと言った。
俺たちは随分ゆっくり歩いた。足が重いわけではない。ただ俺の部屋に向かう道をこうやって腕を組んでゆっくり歩きたかった。腕を組もうと言い出したのは彼女の方だ。首を傾げて俺を見上げる彼女の腕を取って、俺は自分の腕に絡ませた。彼女の腕はヒンヤリとしていた。俺の腕は汗ばんでいる。歩きながら俺たちは何も話さなかった。俺は歩道のアスファルトに響く彼女のヒールの音に耳を傾けていた。彼女はうつむいて自分のつま先を見ているようだった。
マンションのガードマンはいつもの恐いおじさんだったが、ちらりと一瞥をくれただけで全く俺たちを無視した。
部屋に入ると彼女は真っ直ぐにソファに向かい腰掛けた。ゆっくりと部屋の中を見回している。
「アラミスの香りがする」
「フランスに居る友達からのプレゼントなんだ。俺には香水なんて高尚な趣味は無いよ」
「本場のアラミス・・・女性から?」
「いいや、残念ながら男」
小川がフランスに行ったばかりの頃、安月給の中から奮発して買って送ってくれた。確か俺の就職祝いか何かだったと思う。それが まだ残っている。自分のためには決して買えない価格だと後で知った。
俺は電動のコーヒーミルにマンデリンを2杯分入れスイッチを入れた。一瞬耳をつんざくような音がしたが、すぐにカラカラと軽い音になった。コーヒーメーカーに水を入れ、挽いた豆をセットし、これもスイッチを入れた。暫くすると湯が沸き出しコーヒーが2杯出来上がる。
「がらんとした部屋ですね。ベッドルームはここ?」
彼女は腰掛けたまま自分の背後を肩越しに指差した。俺は黙ってドアを開けた。正面の壁に向けてベッドが置いてある。コットンのベッドカバーを無造作に掛けてある。夏の間はそれ1枚を掛けて寝ている。右側は窓。ブラインドは下げたままで、滅多に窓を開けない。ベランダに雨ざらしのスパイクタイヤが4本、処分されるのを待っている。左側はキッチンへの引き戸。居間からキッチンへはオープンで、扉が無い。俺はベッドルームへ行き灯りを付けた。彼女は俺から目を逸らしている。ベッドが何だか生々しい。
「部屋が涼しいのはね、空調が効いているからなんだ。自動的に調節してくれているんだ」
間が悪い。今のこの空気を取り繕えない。下手な小細工はやめよう。滑稽だ。何だかいつもの彼女と違う。俺はわざと彼女に気まずい思いをさせるため、ベッドに腰掛け真っ直ぐに彼女をみつめた。何か言えよ、君をベッドに誘い易いようにしてくれよ。
その時サイドボードの上のコーヒーメーカーのスイッチがカチリと音を立てて切れた。コーヒーが出来上がった。俺はそこへは行かず、彼女の首に背後から腕を絡ませ耳元で囁いた。
「アイスコーヒーにしようか」
細かく首を縦に振って彼女は返事をしたが、顔はますます背けられ、ソバージュの髪が俺の鼻に触れた。項にキスをしたいのをグッと堪え、俺は背の高いグラスにアイスコーヒーを作った。
彼女のコーヒーを俺は知っている。砂糖は入れない。その代わりミルクはたっぷり。ホットもアイスも同じだ。ストローなどこの部屋には無いので、そのまま彼女に手渡した。
「ありがとう」
そう言って彼女は俺を見た。熱い、視線が熱い。その熱い視線を受けて同じ熱さで俺も彼女を見た。右手にグラスを持ち、その手を膝にのせて彼女は座っている。1歩、彼女に歩み寄ろうとした時、スピーカーの上に置いた電話が鳴り出した。
「ちょっとごめん」
良いムードになりつつあったのに、全くどこのどいつだ、邪魔しやがって。こんなもんさ、人生なんて。よくあることだ。
「はい」
少し不機嫌に応答した。
「あ、あたし」
相手もそれを察したのか、申し訳なさそうに声を出した。え? 女?
「わかる?」
とその声は言った。記憶の波がどっと押し寄せてそして引いた。砂浜に1人の女の名前が残された。
「笹木京子」
俺がそう言うと電話の向こうで、ふふ、と笑った。びっくりだ。驚いた。今更電話して来るなんて。
「今は沢口京子よ」
笹木京子は言った。
「結婚したのか」
「まあね。それだけじゃないわ。子どもも生まれたのよ」
「へえ、それはおめでたい」
森田秋子に気を遣って俺は不機嫌な声のまま話していた。相手が女だとバレてしまっていたし、学生時代の切ない青い恋の思い出に声がくぐもってしまっては、今夜はうまく行きそうにない。
「誰か居るの?」
「まあね」
「女?」
「まあね」
「良いのよ、切っても」
「良いよ、話せよ。用は何だ」
「そんな訳よ」
「そんな訳って?」
「私は結婚して子どもも出来て幸せになりましたって訳」
「そうか、それは良かった」
「昔のこと覚えてる?」
「覚えてるさ」
「楽しかったわね。若かったし」
「そうだな」
「怒ってる?」
「いいや」
「そう。許してくれてるんだ」
「俺が悪かったんだ」
「私も悪かったわよ」
「何だよ」
「何が?」
「本当の用は何だ」
「・・・」
「客が来てるって言ったろう」
「相変わらずね」
「何が」
「人の扱い方が相変わらず邪険よ。一緒の女性が苦労するわ」
俺はため息を付いた。君だって変わってないさ。持って回った言い方をする。
「あのね」
「え?」
「今でも好きよ」
「何だ」
「何だは無いでしょ」
「つまらないことで電話するなよ」
「つまらないことじゃないわ。夫も子どももある身であなたのことを好きだって言ってるのよ」
「客が居るんだ。今はその手の話はやめてくれ」
ちらりと森田秋子を見た。両掌でグラスを包み込むように持ち、うつむいている。
「しっかりしろよ。母親になったんだろ」
「ひどい言い方ね。私、あなたを忘れるのに隋分苦労したのよ」
それは俺だって同じさ。あの時君は俺に相談もせず独りでお腹の子を処分すると決めてしまったんじゃないか。あの頃は2人ともまだ学生だった。どうしようもなかった。
「今の幸せを逃すんじゃないぞ」
笹木京子は、いいや沢口京子はもっと何か言いた気だ。だがそれ以上邪魔をしようとせず、あなたもねと言い電話を切った。受話器を置いて森田秋子を見た。彼女は俺を見てニヤリと笑った。そして言った。
「当ててみましょうか」
俺もニヤリと笑った。照れ笑いだ。
「当たりだよ、君の思った通りさ」
彼女は軽くのけぞって笑った。
「イヤだ、まだ何も言ってないのに」
「良いよ、昔の傷を言い当てられるのはたまらない」
特に君にはね。
彼女はラタンのテーブルのガラスの上にカチリとグラスを置いた。神妙な顔になった。テーブルに近付き俺は彼女の足元に腰を下ろした。彼女が俺の肩に手を置いたので、その手を引っぱると、彼女はソファからストンと降りてカーペットに座った。彼女の髪を掻き上げて自分の顔を近付けた。彼女は目を閉じた。俺の唇を彼女の唇に、俺の腕を彼女の体に。
「どうして私なんか」
「イイ女だから」
「私、高いわよ」
「わかった、いずれ払う」
1つ1つボタンを外さなければならないワンピース。ベルトの上に7個、下に10個。まずベルトを外した。
「ごめんなさい。面倒臭いの着て来ちゃった。自分で脱ぎます」
立ち上がってベッドの傍まで歩いて行った。俺から見える所で俺に背を向け、彼女はゆっくりとボタンをはずし始めた。後ろからはずれて行くボタンが露わにする彼女の白い胸を思った。肩からするりと服は落ちた。現れたのは赤と紺のストライプのショーツを履いただけの彼女の体だった。
「何だか振り返れない」
彼女は両腕で胸を覆ってうつむいている。テーブルの上のアイスコーヒーは2つとも氷が融け、テーブルのガラスが水滴で濡れている。立ち上がり、彼女の傍まで行った。背中から抱きすくめると思ったよりずっと小さい彼女の肩が一瞬こわばった。胸に手を伸ばした。ノーブラだったとは気付かなかった。そう言えば腕を組んでいた時、肘にふわりと柔らかい感触があったような。そしてその胸は手にひんやりと冷たく感じられ、乳房は掌にいっぱいになった。服を着ているとわからないものだ。少し強く握りしめると、彼女は小さく、イヤと言ってようやく俺の方を向いた。真っ直ぐ俺を見、暫く2人はみつめ合っていた。ムスクの香りが俺の中の男をくすぐる。たまらない。むさぼるように抱きしめると、妙に冷めた声で彼女は言った。
「もっと早くこうなると思ってたわ」
彼女の髪に顔を埋めたまま腕の力を抜いて俺は言った。
「君は手強い」
配属された日、あの蒸した会議室で彼女が俺に送っていたパルスを俺は思い返していた。大学時代の俺なら、あの日廊下ですれ違ったあの時に勝負を決めていたはずだ。バイト先で知り合った女、ディスコで引っ掛けた女、学食で隣り合わせた女・・・森田秋子が他のどの女とも違うと見抜きながら、何故こんなにも手こずってしまったのか。軽く振る舞いながら慎重に構えていたのは何故なんだろう。男が居たからか? いいや、そんなことではない。多分・・・彼女が俺と似ているからだ。考え方、生き方、心や体に受けた傷の数、形・・・。
「私たちうまく行くと思う?」
「取り敢えず今夜は上手く行くように努力する」
彼女は俺の首に腕を回したままのけぞって笑った。喉から下腹までしなやかに伸びる彼女の体、肩から胸にかけての豊かな線。小さいが迫力のある体をしている。胸がとりわけ白く見えたのは、去年の夏のビキニの跡だろうか。それともまだ焼き切らない七月の海のものだろうか。まだ遅くないさ、俺と海に行こう。
ベッドカバーはそのままに彼女が横たわっている。それを見下ろしながら俺も裸になった。彼女の上に重なる。
「君の中に入る前に訊きたいことが2つある」
「1つ目は?」
「1年中ムスク?」
「いいえ、季節によって変えるわ。2つ目は?」
「この部屋に来れば?」
彼女は、ふふふとさも可笑しそうに笑った後、今夜上手く行ったらね、と答えた。