sweet dreams baby
人肌温度
チャリティーコンサートが終わってから1週間後、夢子のスマホにバイト先である音楽事務所から電話がきた。
「ん?休みの日に珍しい。シフト交替かな?」
深く考えずに電話に出る。ふんふんと内容を聞いている内に夢子の顔色が変わった。
「え、ええぇー⁉⁉」
♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯
そこから2ヶ月後の午前2時15分、夢子は睡眠相談室に電話をしていた。
この2ヶ月の間にもたまに利用していたのでいつもの事なのだが、今夜は少し事情が違った。
プルル、プルル、プツッ。
「お電話ありがとうございます。睡眠相談室でございます」
「こんばんは。水民夢子です」
「水民様、こんばんは。いつもありがとうございます。今回も私、富戸が担当させて頂きます」
「ありがとうございます。実は最近寒くなってきたせいか、今日も眠れなくて…。」
季節が秋から冬に変わるこの季節は
、急な気温の変化に毎年悩まされる。
「それはさぞお困りの事かと存じます。基本的に寒い日は体温が下がって眠くなる事が多いですが、あまり冷えすぎると手足の冷たさなどが気になって眠りにくくなってしまいますよね」
「何か方法はないでしょうか…」
「では、本日は『湯たんぽ』をご提案させて頂きます」
湯たんぽなんて懐かしい響きだな、と夢子は思いながら首をかしげる。
「あ~、確かに温かそうですが…うちの家にあったかなぁ」
「ございませんか?意外と押し入れの奥にしまってある場合もありますよ」
そう聞いて思い出した。去年、例のバーが組合に入っている商店街の福引きで湯たんぽが当たったのだ。
あの時はまだ寒くなる前だったので押し入れに入れてそのまま忘れてしまっていた。
「あ!あります。そうだ、今こそあれを使わないと…」
いそいそと押し入れを漁りながら目当ての物を引っ張り出す。カピバラのぬいぐるみに湯たんぽが入れられるようになっている。
「見つけた!えーと、お湯をこの中に入れて、と…」
ぬいぐるみ型湯たんぽを布団に入れる。その間にくつ下を履いて、首にタオルも巻いておく。温まった布団から湯たんぽを取り出して今度は自分が布団に入った。
「は~。温かい……今まであんまり使わなかったけど、湯たんぽって良いですね」
「人肌温度は心地よさを感じますから、オススメですよ。冬は重宝するかと思います」
ポカポカ布団にくるまっていると、すぐに瞼が重くなってくる。
「富戸さん…今日もありがとうございました…」
「いいえ。お役に立てて何よりです」
いつも通り、ここで夢子の声が聞こえなくなった。富戸は夢子が寝たのを電話越しに感じて囁く。
「お休みなさい、良いゆ」
「富戸さん」
だが、今日に限ってその言葉は遮られた。
「本当にいつもありがとうございました。私、とっても助かってたんです。眠れないのがしんどくなくなったから」
「え…?あ、いやそれは」
「だから!」
一瞬の沈黙が流れる。通話口から夢子の震える吐息が聞こえるほどに。
「富戸さんも、お休みなさい。良い夢を」
夢子は初めて自分から通話を切った。
♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯
翌日の深夜2時(なので正確には翌々日)夢子はバーの前に立っていた。closeの看板が出ているのはもちろん分かっているが、ドアベルを鳴らしながら扉を開けた。
「は⁉ネコ⁉こんな時間に何してんねん」
洗い物をしていた礼二が驚いた声を上げる。
「いやぁ、バイト先で飲み会行ってたんだけど久し振りだったから楽しくて!それで…その、時計をですね、確認してなくて…だから…」
カウンターのスツール椅子に腰かけながら、焦った笑顔を浮かべる。
その顔を見て礼二は目を細めた。
「終電を逃して、ここに来たと?」
「その通りです!ごめん!バイク乗せて下さい!」
パンッと手を合わせて拝む。そんな夢子を見て礼二はわざとらしくため息をついた。
「せやからいつも時間気ー付けろって言うてるやろ。しゃーなし乗せたるから閉店作業終わるまで待っとけよ」
「ありがとうございます!礼二様!」
「調子ええなぁ。今度飯奢れよ」
高いもん頼むから。と意地悪そうな顔をする礼二に夢子は寂しげな笑みを浮かべた。
「うん…、でもだいぶ先になるかも」
「なんや?金欠か?仕事あんま上手く行ってないんか?」
夢子は首を横に振る。目を一度伏せた後、ゆっくりと視線を上げた。
「実は、今日の飲み会って送別会だったの」
「送別会?誰の?」
「私の」
礼二は「は?」と言って固まった。
「…ネコ、音楽事務所のバイト辞めるん?なんで?」
洗っていたグラスを置いて、シンクに両手をついて聞いてくる。
「2ヶ月くらい前にチャリティーコンサートで演奏したって言ったでしょ?」
「うん。聞いたで」
「その時にね、本当にたまたま、ある楽団の関係者が見に来てくれてたの。それで、良かったらうちで練習しないかってバイト先に電話があって」
「へぇ!凄いやんか!ネコ、ずっと楽団入りたいって言うてたし、やっと夢が叶うな」
どこで縁があるか分からんな。と笑う礼二に夢子も笑みを返す。
「ありがとう。ただね、その楽団って言うのが…海外の楽団なんだよね」
「え…!かっ、海外⁉…はぁ~、また遠い所から声掛かってんなぁ。」
「うん。悩んだんだけど、海外の楽団で練習なんて滅多にないし。思い切って挑戦することにしたの」
「その方がええわ!何事も経験やしな。いつから行くん?」
「来月末。連絡あったのは2ヶ月前なんだけど、引っ越し先とかがようやく決まったから」
この2ヶ月は引っ越し準備から引っ越し先の手配、楽団の人に挨拶などバタバタしていたらあっと言う間に過ぎてしまった。
「そうかぁ。頑張れよ!あ、でもネコに会えへんかったらうちのオトンとオカンが寂しがるから、盆と正月は帰って来てくれると助かるわ」
その言葉に夢子は黙って微笑む。しかしすぐにその笑みは消えた。
「…じゃあ礼二は?」
「俺?が、なに?」
「礼二は寂しがってくれないの?」
夢子は眉を八の字にして礼二を見上げた。しかし、二人の視線が重なったのはほんの数秒間で、先に礼二が目を逸らした。
「…せやなぁ、まぁ俺もちょっとは寂しいなぁ。せっかくの常連が一人減ってまうわけやし」
「そう…だね」
いつもは、漫才コンビみたいだと周りから言われるほどポンポン会話を弾ませる二人だが、今日は何だか上手くいかない。会話が途切れては沈黙が流れてしまう。
礼二が蛇口を閉めたキュッという音がやけに大きく響いた。
「…海外でも利用出来るのかな」
夢子がスマホを取り出しながら呟く。
「何を?」
「睡眠相談室」
洗った食器とグラスを拭きながら礼二は目を少し大きく開けた。
「いやぁ、そら国際電話はあるやろけど時差があるしな。向こうが夜でもこっちは何時か分からへんで」
「そっか…そうだよね」
「海外で華々しく新生活なんやから、そんなもんいらへんやろ」
笑いながら礼二に言われ、夢子は何かを考えるようにスマホの画面を見る。
「でも富戸さんに挨拶くらいはしとかないと。本当にお世話になったもん。夜寝れないの何気にしんどかったから」
「そんな気遣わんでも大丈夫やとは思うけど。まぁ、今度また電話しといたらええんちゃう?」
そう言いながら、礼二は拭いた食器をカウンターの後ろにある棚に戻そうと夢子に背中を向けた。
その時
プルル、プルル、プルル
カウンターの端に置いてある店の電話が鳴った。
礼二の瞳が見開く。驚いて振り返ると、夢子がスマホを耳に当てていた。
「…今すぐ言いたかったから電話掛けちゃったよ」
夢子はスマホを耳から離すと、画面を礼二に向けた。
そこには『睡眠相談室』と表示されている。
その間、店の電話は鳴り続けていた。
「ん?休みの日に珍しい。シフト交替かな?」
深く考えずに電話に出る。ふんふんと内容を聞いている内に夢子の顔色が変わった。
「え、ええぇー⁉⁉」
♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯
そこから2ヶ月後の午前2時15分、夢子は睡眠相談室に電話をしていた。
この2ヶ月の間にもたまに利用していたのでいつもの事なのだが、今夜は少し事情が違った。
プルル、プルル、プツッ。
「お電話ありがとうございます。睡眠相談室でございます」
「こんばんは。水民夢子です」
「水民様、こんばんは。いつもありがとうございます。今回も私、富戸が担当させて頂きます」
「ありがとうございます。実は最近寒くなってきたせいか、今日も眠れなくて…。」
季節が秋から冬に変わるこの季節は
、急な気温の変化に毎年悩まされる。
「それはさぞお困りの事かと存じます。基本的に寒い日は体温が下がって眠くなる事が多いですが、あまり冷えすぎると手足の冷たさなどが気になって眠りにくくなってしまいますよね」
「何か方法はないでしょうか…」
「では、本日は『湯たんぽ』をご提案させて頂きます」
湯たんぽなんて懐かしい響きだな、と夢子は思いながら首をかしげる。
「あ~、確かに温かそうですが…うちの家にあったかなぁ」
「ございませんか?意外と押し入れの奥にしまってある場合もありますよ」
そう聞いて思い出した。去年、例のバーが組合に入っている商店街の福引きで湯たんぽが当たったのだ。
あの時はまだ寒くなる前だったので押し入れに入れてそのまま忘れてしまっていた。
「あ!あります。そうだ、今こそあれを使わないと…」
いそいそと押し入れを漁りながら目当ての物を引っ張り出す。カピバラのぬいぐるみに湯たんぽが入れられるようになっている。
「見つけた!えーと、お湯をこの中に入れて、と…」
ぬいぐるみ型湯たんぽを布団に入れる。その間にくつ下を履いて、首にタオルも巻いておく。温まった布団から湯たんぽを取り出して今度は自分が布団に入った。
「は~。温かい……今まであんまり使わなかったけど、湯たんぽって良いですね」
「人肌温度は心地よさを感じますから、オススメですよ。冬は重宝するかと思います」
ポカポカ布団にくるまっていると、すぐに瞼が重くなってくる。
「富戸さん…今日もありがとうございました…」
「いいえ。お役に立てて何よりです」
いつも通り、ここで夢子の声が聞こえなくなった。富戸は夢子が寝たのを電話越しに感じて囁く。
「お休みなさい、良いゆ」
「富戸さん」
だが、今日に限ってその言葉は遮られた。
「本当にいつもありがとうございました。私、とっても助かってたんです。眠れないのがしんどくなくなったから」
「え…?あ、いやそれは」
「だから!」
一瞬の沈黙が流れる。通話口から夢子の震える吐息が聞こえるほどに。
「富戸さんも、お休みなさい。良い夢を」
夢子は初めて自分から通話を切った。
♯♯♯♯♯♯♯♯♯♯
翌日の深夜2時(なので正確には翌々日)夢子はバーの前に立っていた。closeの看板が出ているのはもちろん分かっているが、ドアベルを鳴らしながら扉を開けた。
「は⁉ネコ⁉こんな時間に何してんねん」
洗い物をしていた礼二が驚いた声を上げる。
「いやぁ、バイト先で飲み会行ってたんだけど久し振りだったから楽しくて!それで…その、時計をですね、確認してなくて…だから…」
カウンターのスツール椅子に腰かけながら、焦った笑顔を浮かべる。
その顔を見て礼二は目を細めた。
「終電を逃して、ここに来たと?」
「その通りです!ごめん!バイク乗せて下さい!」
パンッと手を合わせて拝む。そんな夢子を見て礼二はわざとらしくため息をついた。
「せやからいつも時間気ー付けろって言うてるやろ。しゃーなし乗せたるから閉店作業終わるまで待っとけよ」
「ありがとうございます!礼二様!」
「調子ええなぁ。今度飯奢れよ」
高いもん頼むから。と意地悪そうな顔をする礼二に夢子は寂しげな笑みを浮かべた。
「うん…、でもだいぶ先になるかも」
「なんや?金欠か?仕事あんま上手く行ってないんか?」
夢子は首を横に振る。目を一度伏せた後、ゆっくりと視線を上げた。
「実は、今日の飲み会って送別会だったの」
「送別会?誰の?」
「私の」
礼二は「は?」と言って固まった。
「…ネコ、音楽事務所のバイト辞めるん?なんで?」
洗っていたグラスを置いて、シンクに両手をついて聞いてくる。
「2ヶ月くらい前にチャリティーコンサートで演奏したって言ったでしょ?」
「うん。聞いたで」
「その時にね、本当にたまたま、ある楽団の関係者が見に来てくれてたの。それで、良かったらうちで練習しないかってバイト先に電話があって」
「へぇ!凄いやんか!ネコ、ずっと楽団入りたいって言うてたし、やっと夢が叶うな」
どこで縁があるか分からんな。と笑う礼二に夢子も笑みを返す。
「ありがとう。ただね、その楽団って言うのが…海外の楽団なんだよね」
「え…!かっ、海外⁉…はぁ~、また遠い所から声掛かってんなぁ。」
「うん。悩んだんだけど、海外の楽団で練習なんて滅多にないし。思い切って挑戦することにしたの」
「その方がええわ!何事も経験やしな。いつから行くん?」
「来月末。連絡あったのは2ヶ月前なんだけど、引っ越し先とかがようやく決まったから」
この2ヶ月は引っ越し準備から引っ越し先の手配、楽団の人に挨拶などバタバタしていたらあっと言う間に過ぎてしまった。
「そうかぁ。頑張れよ!あ、でもネコに会えへんかったらうちのオトンとオカンが寂しがるから、盆と正月は帰って来てくれると助かるわ」
その言葉に夢子は黙って微笑む。しかしすぐにその笑みは消えた。
「…じゃあ礼二は?」
「俺?が、なに?」
「礼二は寂しがってくれないの?」
夢子は眉を八の字にして礼二を見上げた。しかし、二人の視線が重なったのはほんの数秒間で、先に礼二が目を逸らした。
「…せやなぁ、まぁ俺もちょっとは寂しいなぁ。せっかくの常連が一人減ってまうわけやし」
「そう…だね」
いつもは、漫才コンビみたいだと周りから言われるほどポンポン会話を弾ませる二人だが、今日は何だか上手くいかない。会話が途切れては沈黙が流れてしまう。
礼二が蛇口を閉めたキュッという音がやけに大きく響いた。
「…海外でも利用出来るのかな」
夢子がスマホを取り出しながら呟く。
「何を?」
「睡眠相談室」
洗った食器とグラスを拭きながら礼二は目を少し大きく開けた。
「いやぁ、そら国際電話はあるやろけど時差があるしな。向こうが夜でもこっちは何時か分からへんで」
「そっか…そうだよね」
「海外で華々しく新生活なんやから、そんなもんいらへんやろ」
笑いながら礼二に言われ、夢子は何かを考えるようにスマホの画面を見る。
「でも富戸さんに挨拶くらいはしとかないと。本当にお世話になったもん。夜寝れないの何気にしんどかったから」
「そんな気遣わんでも大丈夫やとは思うけど。まぁ、今度また電話しといたらええんちゃう?」
そう言いながら、礼二は拭いた食器をカウンターの後ろにある棚に戻そうと夢子に背中を向けた。
その時
プルル、プルル、プルル
カウンターの端に置いてある店の電話が鳴った。
礼二の瞳が見開く。驚いて振り返ると、夢子がスマホを耳に当てていた。
「…今すぐ言いたかったから電話掛けちゃったよ」
夢子はスマホを耳から離すと、画面を礼二に向けた。
そこには『睡眠相談室』と表示されている。
その間、店の電話は鳴り続けていた。