ガラスの靴は、返品不可!? 【後編】

真剣な眼差しに背中を押されるようにして、姿勢を正すと。
大河原さんはおもむろに、口を開いた。
「以前、チラッと樋口が話したことあっただろう。私には婚約者がいたと」

「はい、覚えています」私は頷いた。

「大学の同期でね。本当に、素晴らしい女性だった。卒業後、一緒に過ごす時間は減ってしまったが、彼女となら変わらない関係を築いていけると信じていた。……けれどある日突然、手紙が届いてね」

「手紙、ですか」

「あぁ、そうだ。当時はEメールやメッセージアプリ、なんてものはなかったからね。便箋に、『好きな人ができた。あなたとは結婚できない』と書かれていて……。そしてそれっきり、彼女は勤めていた会社も辞め、姿を消してしまった。アパートはもぬけの殻、実家に聞いても知らないの一点張りでね」

その時の大河原さんの気持ちを想像して、きゅっと胸が痛んだ。
結婚まで考えた人が突然いなくなってしまうなんて、どれほどショックだっただろう……。

「聞こえてくるのは、男と遊んでいるのを見たとか、そんな嫌な噂ばかり。あぁ自分は捨てられたんだ、二度と恋愛などするものかと、私は絶望した。ところがだ」

大河原さんは、手の中の缶へ自嘲気味の視線を落とした。

「10年以上経った時、偶然当時彼女と噂になっていた男と再会して。彼がもう時効だからと教えてくれたんだ。彼女から頼まれて、浮気相手の役を演じていただけだ、とね」

「……えっ……」

「プライバシーに関わることだから詳しくは話せないが、彼女が姿を消したのは、ちゃんと理由があったんだ。しかもその理由というのは、彼女自身のためじゃなく、私の将来を思ってのことだった」

知らないうちに、両手でペットボトルを握り締めていた。

「あの時ほど自分が情けなかったことはないよ。知ろうと思えば、きっと手段はあったはずなのに。私は被害者ぶって目を閉じ、耳をふさぎ……すべてに背を向けてしまった。……真杉さん」

思慮深い眼差しが、まっすぐこっちを見つめていた。


「君は、私のようになってはいけない。真実を、見誤ってはならないよ」



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