わがままな美人
今年で二十九歳になった香子は、来年、三十歳を迎える。
女性にとっての“三十歳”は、いろいろと焦る年齢らしい。
何が? ──結婚よ。
『実はね、あんたに紹介したい人がいるのよ。すごくいい人なのよ。今日、写真とかをそっちに送ったから──』
座席に背を預けながら、香子は母親からの電話に出たことを後悔した。
いや、母親の気持ちは理解できなくもない。
三十を間近に控えた娘が、結婚どころか恋人の影すら見えないのだ。母親からすれば、心配になるだろう。
しかも五年前、次女が長女よりも先に結婚し出産もしたことで、更に心配になったのかもしれない。
こちらとしては、一切気にもしていないのだが。
「母さん、悪いけど私、結婚する気なんてないから。勝手に写真とか送られても困るだけよ」
『何バカなこと言ってるの! 今はそれでいいかもしれないけどね、年取ってからの一人は──』
「これから仕事なの。ごめん、切るね」
『香子!』
母のお説教を強制終了させて、スマホを助手席に投げる。
ハンドルを握り、バックミラーを確認すれば、映り込んだ自分と目が合った。
──自分はそれなりに、整った顔立ちをしていると思う。
遊び心を微塵も感じない黒髪に、厳しそうと相手に思わせてしまう黒い瞳、それから、形は良いが愛想笑いが苦手な唇。秘書として働いているので、身だしなみやスタイルにはそれなりに気を遣っているつもりだ。
そんな自分に、問いかける。
──ねえ、結婚ってそんなにも重要? そりゃ、焦る気持ちは理解できなくもないけど、だからって、自分もそれに合わせる必要、ある?
香子は今しがたスマホを投げた助手席に、目をやる。
そこには“マンション購入をお考えのあなたに!”、という大きな見出しが目を引くパンフレットが置いてある。
恋愛や結婚に興味がないどころか、このまま一人でもいいかな、じゃあ将来のためにマンションを買った方がいいのかな、と娘が考えていると知ったら、あの母親はどんな顔をするのだろうか?
こちらとしても、まだ決定事項じゃないので話をする気なんてサラサラないけど、本気になったら話さなきゃいけないだろう。
「どうせ反対するに決まってるだろうけど、さ」
カーナビの案内開始ボタンを押して、車は駐車場をゆっくりと出た。
***
キングホテルのラウンジで、相良 千秋(さがら ちあき)はにこやかな笑顔を浮かべたまま、自慢するように長い足をくみかえ、ちらっと腕時計で時間を確認した。
電話を終えてから約五分。
あいつはまだ来ないのか。