恋愛コンプレックス
学生時代から行きつけにしているここのバーは、流行らないジャズばかりかけているのと、なんとなくふらっと立ち寄ることを許さない表看板のせいで、いつも顔なじみばかりが揃ってしまう。カウンターの隅にはヒルズの役員が一人、テーブル席には冴えない二人組みの中年男性、その隣で異様なファッションに身を包みバブルと過ぎ去り日若さと青春を一身に引きずった中年女。みんなどことなく現実逃避をしているように肩を硬くして酒を啜っている。

 私とハズキはしばらく近況報告をしあった。私の本題に入れない分、自然とはずきの話題が中心になる。
 「最近ね、恋人と別れたばかりなの。」
ハズキは天気予報の話でもしているような軽い口調で言った。
 代わりに私が不自然なまでにオーバーリアクションをとってしまいハズキを苦笑いさせた。
 「あんなにいい感じだったのに、どうしてよ。」
 ハズキが付き合っていた男は二枚目のくせに嫌味がなく、ハズキが酔っ払うとどこまででも迎えに来てくれるような人だった。何より大手のトップエリートだ。こんないい方をすると陳腐だが、私には文句のつけようがない日本男児には稀な青年だった。

 「ところが問題大有りだったのよ。あの人、既婚者だったのよ。しかも子持ち。既婚者ってだけなら迷いようもあったけど、子孫がいちゃね、もうお手上げ。」
 ハズキはそういって肩をすくめて見せた。相変わらず何があってもわめきも唸りもしない冷静な口調と表情に、私は何度だって面食らうことになる。

 「既婚者。」私がなぞるように呟くと、彼女は吸っていたバージニアスリムの細いタバコをガラス製の灰皿にもみ消しながらこくりとうなずいた。
 まるで今日道で転んじゃったよ、なんていう他愛もない会話をしているようで、私は頭がくらくらした。


 「大丈夫?」
 私が聞くと、彼女は涼しい顔で言った。
 
 「全然だめ。」
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