『140字小説』
91~120
91
猛暑の最中、木崎はカフェでしたたかに呑み、往来の激しい表通りを避けながら帰る途中、塀のある寺の横に出た。塀を乗り超えて入ると、薄闇の中に墓地が見える。墓石に腰掛けて胸ポケットからウイスキーの小瓶を出し、ふと横をみると、同輩が乾杯の真似をした。彼がそれに応えようとしたら消えていた。
92
三文作家の久住は、このところ小説が書けず、無為の日々を送っていた。そんなある日、モニタ画面上に文字が現れ暫くして一つの文章にまとまった。彼はその文面を目にして、愕然とする。曰く、”渡し守に有り金を差し出しなさい。そうすれば対岸に無事辿り着けるでしょう”――あの世からの通知だった。
93
山道を歩いていた小河浩史は、突然の雨に慌てふためき、廃屋に飛び込んだ。どうにか雨宿りのできそうな場所を探し、ホッとしたのも束の間、居心地の悪さに落ち着かない。ふと、傍にある井戸を覗きみた彼は、獣が燃えるような目で井戸の底から睨んでいるのを目撃、驚きのあまり金縛りになってしまった。
94
吉井は、月の近くに肉眼でもそれとなく分かる、光り輝く三角形の物体を発見、早速、望遠鏡で確かめてみた。それは月の50分の1としても、底辺の長さは70kmを超える巨大なピラミッド型UFOだった。望遠鏡を覗きながら、手を振って合図してみる。待っていたかのように、UFOがゆらゆら揺れた。
95
安川は、月明かりを頼りに雪道を一杯機嫌でよろよろ歩き、帰宅途中だった。雪を踏む音がキュッキュッと心地好く聴こえる。彼の足音に別の足音が加わったのに気づき、横を見ると、グレイタイプの異星人が歩いている。握手したら、急激に体温が下がり、慌てて手を引っ込めた。グレイは風に乗って消えた。
96
村の漁師が数人、水平線の彼方から猛スピードで接近して来る鯨の群れのように見える何かを目撃した。やがて巨大なUFOだと分かり彼らは慌てふためき海岸から堤防の上に退避し始めた。ところがUFOはハッチから砂浜に向けて様々な魚を大量に吐き出すと、何事もなかったかのように遠ざかって行った。
97
UFO研究家の諸橋は、手狭になった借家を引き払い、ピラミッド型の一軒家を格安で入手、その日に引っ越した。細君と蔵書や収集品を棚に収納し終り、休憩して寛ぐ。珈琲を飲んだり喫煙している最中、家全体が激しく揺れ、宙に浮き始めた。家は、UFO狂いの彼の脳波に反応した異星人の遺棄船だった。
98
桑原は骨董店で古書を見つけ、異国人らしい老店主と値段の交渉を始めた。いくらでも好いという店主に財布から有り金を出し、その古書を入手する。帰宅して梱包を解き、中を検めようとした直後、光が両眼を刺激し意識を失った。暫くして、彼は宇宙の中心に鎮座し、森羅万象を眺めている自分に気づいた。
99
手品師が路上で手品を見せ、それを眺める通行人から拍手喝采を浴びていた。やがて通行人が増え、交通渋滞に到る騒ぎになった。警官が大勢詰めかけ、事態収拾に手こずっている中、手品師はシルクハットをちょいと持ち上げて挨拶すると、ステッキをつきながら宙へと上がって行き、通行人を後目に消えた。
100
独身寮に入って間もない新人の玉置は、夜が耽ると共に落ち着かなくなる。ある日、酔って帰り、着替えをしようとしてよろめき、壁に手をついた。寄りかかった壁に映った自分の影に、重なるように別人の影が浮き出し、ビックリして跳び退いた。影は、ドアの方に向かい、すり抜けるようにして外に消えた。
101
腰の曲がった老人が、トラックの往来する車道を杖つきながら、覚束ない足取りで渡ろうとしていた。道の中ほどまで達した時、トラックがその老人を無視して両側から猛スピードで進入してきた。信号待ちしていた複数の通行人の間から悲鳴が上がったが、老人は道を渡り切り、無気味な笑いを残して失せた。
102
山奥に住む老夫婦の許に、火星の放送電波を受信できる最新型のテレビ受像機を納入し終え、途中で道を間違えた小野上は不安になりながらも運転し続けた。途中で、野犬に注意の立て札を見かけ、ますます不安がつのる。土手の上方から巨大な野犬が飛び出し、彼の方に笑い顔を見せて崖下の藪に姿を消した。
103
前夜の宿酔いからまだ醒めやらぬ河島は、舗装の悪い山道を、要慎しながら時速4,5キロで下り、左に曲がろうとして更に減速したその時、数百匹もの様々な毛色の異なった子犬が、我勝ちにトラックの荷台に跳び乗ってくるのに驚き、ハンドルを取られそうになりながらなんとか停止し、胸を撫で下ろした。
104
閉所恐怖症の棚橋は、開放的なエスカレーターを好んで利用している。ある時、高層ビルディングのエスカレーターを早足で上がっている途中で、一人の中年が逆走してきて打つかりそうになり、避けようとしたが避けきれず、相手を突き抜けてしまった。だが相手は、何事もなかったかのように降りて行った。
105
眞島は帰宅途中、前屈みになって、ぬかるんだ道を歩いていた。月が妖しい光を投げかける中、後ろから足音が聴こえてくる。しかし、怖がりの彼は振り向くこともできず、歩度を速めた。彼に合わせるかのように足音が近づいてきて、あっという間に何かが彼を追い越し、足音だけを残して遠ざかって行った。
106
挙動不審の車を追跡中に、巡査長の俵屋は助手席から若い女が路上に飛び出したのを目撃した。打つかりそうになりながら危うい処で難を逃れたものの、車を見失ってしまった。引き返して路上に倒れている女を見れば、人形ではないか。路上からどかそうとして抱きかかえたその時、人形が振り向いて笑った。
107
服部は早朝ジョッギングに疲れ、緩やかに傾斜した土手で微睡んでしまった。周囲が騒がしいのに気づき見回すと、繋ぎを身につけた小柄な連中が7,8人やってきて、地中に消えて行く。地面が揺れた直後、開いたハッチから手が伸びてきて彼を引き入れ、土手の一部が土砂をばら撒きながら宙に浮き始めた。
108
三文作家の高屋敷は、締め切り日が迫っていながら一行も書けず、起動したPCの画面をジッと睨み続けていた。時間は徒らに過ぎ、マシンを前にして不覚にもうたた寝をしてしまう。数分後、打鍵音を耳にして我に返り画面を見た。カーソルが勝手に動いて画面に文字が現れ、前月の続きが仕上がって行った。
109
運転技術に自信のある前嶋は車の往来がないのを幸いに、舗装の余りよくない峠をかなりの速度で降って行った。カーヴに差し掛かり、用心しながら曲がり始める。ヘアピン・カーヴが続き、減速しようとしたが石ころの散乱する路面でスリップし崖下に転落……ソファから転げ落ちそうなところで目が覚めた。
110
冷気漂う真冬、月明かりを頼りに家路を急ぐ菅沼の耳に、何処からともなく猫の鳴き声が聴こえてきた。やがて鳴き声は森林の中を通る一本道に近づき、追いかけてくる。驚いて振り向く彼の眼前に女が現れ、艶っぽい微笑みを残して消えた。彼は呆然としたまま身じろぎできず、その場に凍りついてしまった。
111
天空全体を厚い雲が覆っていた。鮫島は、自分の境涯を空模様に対比させ、不安が募った。舞い降りてくる牡丹雪を目にして、家路を急ぐ。だが、雪は地面に着くや否や動きまわり、地中に潜り込む。何かの前触れか――途端に元気が湧いてきた。破れかぶれの蛮勇が、体内で滾り立ち、彼は猛然と走り始めた。
112
モーターサイクルに跨る藤澤の眼前に、地平線の彼方まで延びる平坦な道が現れた。高速回転するエンジン音が耳に心地よい。速度を上げようとした直後、壁に激突するような衝撃に思わず辺りを見渡せば2段目から驚いて見下ろす同僚が……ベッドの3段目から床に落ちたのに気づき、彼は気絶してしまった。
113
ロック・ファンの板倉は、奇妙な名称のバンドが演奏する野外コンサートに出かけた。観衆は一様に戸惑ったようだが演奏が始まるやいなや、到るところに人差し指と小指を突き上げるサインが現れた。これは、いったい何者を称える演奏会なのか。そう思った彼の眼前を山羊頭の妖しい人物が横切り、消えた。
114
悪たれ者の千石はモーターサイクルで峠を攻略中、急勾配のヘアピンカーヴを減速せずに下り、数百メートルある崖下に転落した。息を吹き返し、病院のベッドに横になっている自分に気づいて、枕元にある新聞を何気なく見る。日付3012年4月1日に仰天した彼は思考回路が焼き切れ、絶命してしまった。
115
岩倉は下りヘアピンカーヴで一瞬の油断から崖下に転落、しかし後続のライダーには、空中から大きな手が出てきたように見えた。数時間後、ライダー仲間は峠下のレストランで黙々パスタを頬張る元気な岩倉を目にして呆然自失に陥った。彼によれば、別次元の空間を疾走していたように感じたというのだが。
116
ホテルの暗い通路を歩いていた樫山は背後を振り向いたが何も見えず、恐怖に慄きながら、階段に通じる方向へと急いだ。突き当りに近づくにつれ、急ぎ足で歩く足音が聴こえ、続いて大きな姿見に黒っぽいフードを被った人物の姿が映った。その場に凍りついた彼を後目に、その人物は鏡の中に消え去った。
117
橋が濁流の中に消え、呆然と佇む柿沼の眼前に一叟の舟がやってくる。先客の推めに応じて乗り込むも、三途の川を渡る舟と気づき、彼は戦いた。呑み屋で有り金使い果たして文無しなのを知った渡し守は、彼を川に放り込んでしまう。余りの冷たさに目を覚ませば、其処は月が煌々と照らすベンチの上だった。
118
澤田は手ぶらで上京し、安アパートに住みついた。窓なしの狭い部屋に胡座を掻き、壁を凝視している中に壁が消え去り、太陽を正面に見据え、空中に浮いていた。”おてんと様が真上に来てるよ!起きなさい”―母親の声に驚いて目を覚まし、時計を見たら午前10時を回り、茹だるような暑さになっていた。
119
寝不足が祟り、キーボードに両手を乗せた儘眠り込んでしまったらしい。締め切りに間に合わせようと、シャカリキになったのが拙かった。津久井は大粒の雨の、窓を激しく叩く音に目醒め、画面を見て驚きの声を上げた。起動したエディタのページには、これまで書けずにいた小説の結末が出来上がっていた。
120
押上は、仕事帰りに乗った電車の中で眠り込み、神々しいまでの光の乱舞する世界で巨きな仏像を見上げている夢を見た。信号待ちの車内アナウンスが聴こえ、身体が勢いよく傾くと同時に目を覚まし、対面する座席の方に顔を向けると、満面に笑を湛えて彼を見ている、聖人のような風貌の乳児と眼が会った。[完]