新妻ですが、離婚を所望いたします~御曹司との甘くて淫らな新婚生活~
「──ここが、俺たちの住んでいる部屋だ」
玄関ドアを押し開けてくれている彼に促され、こくりと生唾を飲み込んでから足を踏み出す。
鼻腔を撫でた知らないはずの部屋の匂いが、どこか懐かしいものに感じた。履いていたパンプスを脱ぎ、おそるおそる家の中へと上がる。
病院で衝撃の目覚めを経験してから、早や1週間ほど。
今日私はとうとう退院の日を迎え、皐月くんとふたり暮らしをしているというマンションにやってきている。
医師の話によると、記憶を取り戻すには、やはり脳に刺激を与えることが大事らしい。
1番大きな怪我は2針縫った頭部の傷だったけど、退院直前にすでに抜糸していて、今はもうガーゼなどもあてていない状態だ。
他は外傷もほとんどなく、記憶が抜けている以外の問題が特に見当たらない私は、このまま単調な入院生活を続けるより今までと同じ生活を送る方がいいだろうとの判断だった。
そのことは、まあ、納得できるんだけど……今日からさっそく始まる皐月くんとの生活に、今の私は不安と気恥ずかしさが入り混じった複雑な気持ちだ。
大学への進学と同時に上京した私にこのあたりで頼れる親戚等はなく、自分の中ではつい先日までひとり暮らしをしていたはずのアパートも、結婚を機に解約してしまっている。
つまり、今の私が帰るところといえば、皐月くんと住んでいるというマンションしかないのだ。
もしかしたらすぐに思い出すかもしれないし……という可能性を捨てきれず、結局北海道の両親にも記憶喪失の件は話していない。だからまさか、しばらく実家に帰省するなんてことも難しいだろう。
皐月くんはずいぶんと心配してくれたが、そんなわけで私は「ええいままよ!」とばかりに、思いきって彼との生活に飛び込む決意を固めたのだ。