新妻ですが、離婚を所望いたします~御曹司との甘くて淫らな新婚生活~
「せっかく……皐月くんが注いでくれた麦茶……」

「そこまで残念そうにしてくれたら、零れた麦茶も浮かばれるだろ」



たぶんわざと、彼がおどけるように言う。

きっと私が、これ以上気に病まないようにだ。
申し訳なく思いながらも、その優しさにまた自然と胸が高鳴る。

皐月くんも一緒に、ティッシュペーパーで床を拭いてくれた。

どうにかフローリングが綺麗になったことを確認し、立ち上がって手を洗う。

汚れたティッシュをまとめてゴミ箱に捨てた彼が、シンクで同じく手を洗いながら何気なく口を開いた。



「礼。焦らなくても、ゆっくりでいいから」

「え?」



思わず聞き返す。

キュッと蛇口を閉めて、彼がこちらを振り向いた。



「おまえの中で、俺はまだまだ他人同然だろ。なのにこうやって一緒に暮らすことになって、戸惑うのは当然のことだ。この生活にも、俺にも……慣れるのは、少しずつでいい。早く記憶を取り戻さないと、なんて焦らないで、ゆっくりがんばっていこう。俺もできる限り、助けになるから」



目をみはる。
皐月くんは穏やかに微笑みながら、そんな私を見つめてくれていた。

とたん私は、くしゃりと顔を歪める。

ああ、どうして──どうしてこの人は、こんなにも、優しくしてくれるのだろう。

『がんばっていこう』、なんて。足並みを揃えて寄り添ってくれる言葉を、伝えてくれるのだろう。

もしかすると、今の私は彼の好きだった“私”とはほど遠い人格なのかもしれない。

けれど彼はそんなこと気にする素振りもなく、こうしてひたすらに私を甘やかす言動をしてくれる。
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