恋、花びらに舞う
ふたりの親しさから、この場は遠慮した方がよいだろうと考えて立ち去ろうとした由梨絵へ、驚きと嬉しさが混じった声がかけられた。
「あっ、あなたは! こんなところで会うとは、いやぁ、驚いた」
日本からバルセロナまで、飛行機の隣の席にいた男性だった。
和真のレースの話をしていたため、レース会場で会うかもしれないと予想はしたが、まさかスタッフオンリーの場で会うとは思わなかった。
「レースの関係者ですか?」
「関係者ではありません。けど、顔パスで入れるくらい顔は知られています」
なにが顔パスだ、勝手に入ってきやがってと和真は言うが、口ほど責めてはいない、むしろ男性を歓迎している。
「あなたもチームメンバー?」
「いえ、メンバーではありませんけれど……」
「彼女はメンタルサポートトレーナーだ。レースに合わせて来てもらった」
由梨絵を紹介しながら、和真の腕は由梨絵の背をしっかり抱えている。
「ははっ、警戒するな。おまえさんの彼女を取ったりしない」
「そういうところが信用できないんだよ」
威嚇するように顔をしかめた和真を見ながら、男性は自己紹介をはじめた。
「日野智之です。朝比奈とは古い付き合いです。こいつの黒歴史も知り尽くしています」
黒歴史ってなんだよと声を荒げた和真に取り合わず、日野は由梨絵へ質問を向けた。
「あぁ、あなたが朝比奈がスカウトした心理カウンセラーですね。話は聞いています。
でも、名前は聞いてなかったな。名前を教えてください」
「後藤由梨絵です。日野さんは、毎年こちらへ?」
「えぇ、夏のレースは欠かさず観ています。由梨絵さん、こちらにはいつまでいますか?」
「10日間の予定です」
由梨絵と名前で呼んだ日野へ、和真はいよいよ怒りの声をぶつけた。
「ウチの大事なメンバーを気安く呼ぶな」
「由梨絵先生、これならいいだろう」
「だめだ、だめだ。ゆう、いくぞ」
由梨絵の腕をつかみ歩き出した和真を、周りのスタッフがおかしそうに眺めている。
日野は、面白いものを見せてもらったよと、顔なじみのチームメンバーへ声をかけて高らかに笑いながら、和真たちとは反対方向へ去っていった。
日よけのテントまで来て、和真の足は止まった。
「日野さんはあなたのお友達でしょう? お相手をしなくていいの?」
「いい」
「でも、せっかく日本から見に来てくださったのに。長いお付き合いなんでしょうね」
「日野は……昔の事故で亡くなった仲間の兄貴だ。付き合いは長い」
「そうだったの……」
和真はそれっきり口を閉じた。
こういうとき、無理に話を聞き出すのは逆効果である。
なにより、戦いを控えた男の心を乱すつもりはない。
テントが作る日陰は思いのほか涼しかった。
由梨絵は先に椅子に座り、続いて隣に座った和真の膝に手を置いた。
膝の上をゆっくりなでていく。
「いい風ね……レースが終わったら、市内を案内してね。
一応調べてきたのよ。教会や美術館、行きたいとことがいっぱいあるの。
ガウディが設計した建造物は見逃せないわね。
不思議な形状でしょう? 中はどうなっているのか興味があるわね……」
和真から返事も相づちもなかったが、由梨絵は思いつくまましゃべり続けた。