恋、花びらに舞う
例の手紙とともに女を警察に引き渡し、深夜営業の店のカンターで簡単な食事を済ませたふたりがマンションに戻ったのは、日付が変わった深夜だった。
ひどい目にあったのに、買い物ができなかったと残念がる由梨絵に和真は呆れた。
その一方で、和真に言い寄る女を前にしてもひるまない、由梨絵の威勢の良さは頼もしいとも感じていた。
どこか頼りなく甘える女が好みだと思っていたが、実はそうではなかったのかと気づき、あらためて由梨絵をじっと見つめた。
「なぁに?」
「やっぱり車で出かければよかった。そうしたらこ、んな目にも合わなかったと思っただけだ」
「明日、買い物にいきましょう。あなたの好きな車に乗って」
「たくさん買うつもりだろう」
「そう。まずは、料理できるように、キッチンの道具をそろえたいの。食器とカトラリーも。
それから、インテリアも。ラグとか、クッションもそろえて、そうだ、マットも必要ね」
次々に飛び出す買い物リストに、好きなだけ買ってくれと返事をして、和真はバルコニーへ出た。
行ってもいいの? と探る目の由梨絵を手招きで呼ぶと、嬉しそうにかけてくる。
並んで見上げた空に星はなかったが、ふたりで空を眺めるだけで十分だった。
「南半球で見る天の川は、それはきれいだ。ゆうもいつか来いよ」
「オーストラリア遠征は、いつも同じ時期?」
「いや、変わることもある」
「大学の休みと重なったら行けるのに……」
和真と南半球の空を眺める姿を想像しながら、由梨絵はその時の自分を思い浮かべた。
大学で教えながら、休みは和真の元へ飛んでいく。
和真が日本で過ごすあいだはずっと一緒にいる、そんな無理のない関係でいられたら、家族になっても……
そこまで考えて、由梨絵はハッとした。
和真との未来を難なく想像できることに驚き、そして、嬉しくなった。
相手に必要以上に踏み込まない、ドライな関係が保てる男性と上手くいくのだと思い込んでいた。
ときにはわがままを言って由梨絵を困らせ、そうかと思えば疲れ癒すように甘えてくる、仕事に没頭しているときは由梨絵の存在も忘れてしまう男、それが和真だ。
こんな男にそばにいて欲しかったのだと気づき、隣の顔を見上げた。
「うん?」
「南半球の天の川、観たいわ。いつか連れて行ってね」
「二週間後、一緒に行くか」
「無理です」
由梨絵の即答に和真が大きな声で笑う。
来年は行こう、由梨絵がそう心に決めた夜だった。
豪州遠征のあとアメリカに渡った和真が帰国したのは、クリスマス前だった。
マンションの部屋は由梨絵の手で見違えるように整い、清々しいほど何もなかったキッチンには食器と調理道具がそろっていた。
暖かい部屋と温かい食事、そして、ぬくもりのあるベッドは、遠征続きで心身をすり減らした和真を癒していく。
「去年のクリスマスは何をしてたかって? ひとりで、ホテルの部屋で酒を飲んでた」
「本当にひとりで?」
「あぁ、去年のクリスマスシーズンはドイツにいた。あっちの奴らは家族を大事にする。
クリスマス休暇を何より楽しみにしてるからな」
「そう……わたしも、去年はひとりだったけど、今年はあなたと過ごせて良かった……ひとりは寂しいもの」
「じゃぁ、その前はどうなんだよ。ひとりじゃないだろう」
「そんなこと……」
由梨絵の背中の窪みに指を滑らせ、そのあとを唇で追いかけながら和真の追及は続く。
「ゆう、言えよ」
「いやよっ、聞いてどうするのよ」
体をひねり、振り向いた顔が、キッと和真を睨みつけた。
「そんな怖い顔をするな」
「あなたが嫌なことを聞くから」
綺麗な眉は、まだ不機嫌な曲線を描いている。
機嫌をとるか……
胸の奥でつぶやいた和真は、ベッドサイドの引き出しから箱を取り出した。
「クリスマスプレゼント? 期待してなかったから嬉しい」
「俺は期待されてなかったのか」
「ふふっ、すねないの。ありがとう。あけてもいい?」
ダイアモンドピアスが気に入ったのか、由梨絵の眉は笑顔とともになだらかな曲線を描いた。
「気に入ったか」
「そうね。あなたにしては上出来」
素直でない口がふっと微笑み、由梨絵の長い手が和真の首を引寄せた。
「ありがとう」
薄く開いた唇が、和真の唇を軽く吸い込みキスを続ける。
来年も、その次も、これからずっと一緒に過ごそう……
キスの合間、和真の口からこぼれた言葉に、由梨絵は一瞬驚き、それからゆっくりうなずいた。
約束通り三年続けてクリスマスを共に過ごし、大学が休みのたびに和真の元へ出かけるようになった由梨絵は、翌年の春にはベルギー遠征に参加することになった。
そこで、思いがけない再会が待っていた。