恋、花びらに舞う
2. 夜桜
新コース完成イベント、それにつづくパーティーと、人のあいだを縫うように動く朝比奈和真に満開の桜を愛でる余裕はなかった。
ファンサービスだけでなく、スポンサーや支援者へ顔をつなぎ機嫌をとるのも監督の仕事である。
彼が率いるレーシングチームのためを思えばこそ愛想を振りまくこともできるが、和真は元来そういうことが得意ではない。
できるなら、早々に引き上げて一人でグラスを傾けたいところだが、そうもいかず、ファンの写真撮影に応じながら、一人の女性を目の端に入れていた。
『彼、気になる彼女がいたみたいなの。だから、ふられる前に私から別れを切り出した』
屋外イベント終了間際、耳に届いた強気な声に和真は思わず振り向いた。
無駄な戦いはしない、負けの予感を感じたら作戦を変える潔さが必要である。
女の言葉は和真の信念に通じていた。
花びらが優しく舞う中で見た、男に媚びないきりりとした女の姿に強烈に惹かれた。
彼女を振り向かせたい……
和真はその思いに取りつかれていた。
「マナミさん、このあと時間ある? 彼女もいっしょに」
気の合う仲間だけで街に繰り出すつもりである、一緒に行かないかと、和真は由梨絵ではなくマナミに声をかけた。
マナミが早く帰る予定であるのを承知の上である。
「わぁ、行きたいです。残念ですけれど……」
由梨絵は朝比奈さんと行って、あとで話を聞かせてと、マナミは和真の予想通りの言葉を口にした。
そして、由梨絵が残った。
仲間だけの席に上座下座は関係ない。
和真は奥の席に陣取り、遠慮する由梨絵の手を引いて壁と自分のあいだに座らせた。
イベントが無事に終わった解放感で、みな陽気に酒を楽しんでいる。
「みなさん、楽しそうですね」
「レースのあとは、いつもこんな感じだよ」
「朝比奈さん、お酒、強いんですね」
由梨絵は和真が手にしたグラスに目を落とした。
琥珀色の酒は目まいがしそうな強い香りを放っている。
「嫌いじゃないよ」
「嫌いじゃないって、それ、答えになってません」
由梨絵が口をとがらせながら言い返す。
すねた口元と、少し甘えた素振りも和真の好みだった。
にぎやかなグループにいる一人から 「朝比奈さん、飲んでますかー」 と声がかかり、和真はグラスをあげて見せた。
「いいんですか? 監督がこんな隅に座って」
「……ここが気楽でいい」
「お酒は嫌いではないけれど、お付き合いで飲むのは苦手ってこと?」
急に親しい口調になった由梨絵を面白いと思った。
「あぁ……君は?」
「私の名前、わかりますか? マナミの名前はおぼえていたようですけど……」
問い詰めるように上目遣いに見られて、不意に和真の心臓が跳ねた。
けれど、それを気取られる和真ではない。
気をひきたい女の前では余裕のある男でいたい。
レースで鍛えた度胸は誰にも負けない自信があった。
「おいおい、君だって、返事になってないじゃないか」
私のことはいいんです、それで、名前、わかります? と、由梨絵が重ねて聞いた。