好きになるには理由があります




 その頃、杵崎はまだ自転車のところに居た。

 店主ももう呆れるを通り越して、温かい目で見つめている。

 毎日、此処から小一時間動かない自分を。

 タイヤの具合を見るフリをしながら、しゃがみ込んで自転車を見つめていると、

「はい」
と店主のおじさんが紙コップに入ったコーヒーを差し出してきた。

「え」

「いや、寒いから」
と店主は笑っている。

「あ、ありがとうございます」
と受け取りながら、申し訳ないから、なにか買って帰らねばな、と杵崎は思う。

 特にいらないが、空気入れとかタイヤとか、と思ったとき、店主のおじさんは店内に戻りながら、

「いや、気にしないで。
 あんた見てんの、暇つぶしにいいから」
と言って笑う。

 杵崎はありがたく湯気の立つ珈琲をいただきながら、自転車を眺めた。

 これを買ってどうするんだろうな、俺は、と思う。
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