眠れぬ夜のお嬢様と執事の寝物語〜温かいハーブティーをどうぞ。さ、おやすみなさいませ〜
眠れぬ夜 一日目
ようこそ、眠れぬお嬢様。 本日のハーブティーは、ラベンダーティーになります。どうぞ……
今日も私は眠れない。
「時實《ときざね》、まだ行かないで」
私はベッドに横になったまま、執事の時實を呼び止めた。彼は足を止めてゆっくり振り返ると、
「お嬢様、お眠りになりませんと、明日も早いですよ」
と私の顔を覗き込む。動物に例えるならフクロウが似合うお爺さん。
こんな夜更けにも白髪は丁寧に整えられていて、物腰は柔らかくて、時間がゆっくり流れているようで、安心して、私は甘える。
「だってまだ眠くないんだもの」
時實は困ったように白い眉尻を下げる。迷惑しているわけじゃなくて、私の健康を案じてくれているのだと思う。
「かしこまりました。では、温かいラベンダーティーを用意させましょう」
私が頷くのを確認して、時實は隅っこに控えて立ったままこちらに注意を向けている青年、美原《みはら》静真《しずま》にその旨を伝えた。彼は頷くと、私に向かって一礼し、燕尾服を翻して足早に部屋を出ていった。
時實が、眠りにいいとされるビターオレンジの花の精油をレモンとブレンドし、焚いてくれる。
ネロリと呼ばれるこの精油は、優雅だけどほのかに苦くて、庭園の草の中に座り込んでいるようで、なんだか安らぐ。
扉が開く音がして、静真が戻ってきた。手に持った盆には透明のガラスのティーカップ、そしてその中に無色透明の液体が入っていて、飾り付けのハーブの葉が浮いている。
「ラベンダーティーです。どうぞ」
ヘッドの脇に跪いて静真に差し出され、私はありがとうと受け取る。
静真がちょっと緊張したように私を見つめている。つられて私まで緊張しながら一口飲むと、ラベンダーのフローラルハーブの香りがふわっと広がった。
「おいしい……」
思わず口をついて出た感想に、静真の生真面目な顔がわずかに和らぐ。
いい香り……。お花のお茶って感じ。
私は続けて一口、二口と飲んで、火傷しない熱さだったので、そのまますべて飲んでしまった。
「ごちそうさま」
そう言って静真に手渡す。静真は空のカップを盆の中央に載せるとまた一礼し、片付けるため部屋を出ていった。
静まる室内、
「眠らなきゃ……ね」
私は焦る気持ちで目を閉じる。
だけどなんだか、不安な夜。
「眠れもしない私は、このままうまく生きていけるのかしら」
なんて、つぶやいてしまう。
夜はすぐに心細くなるから困る。
ここまで生きてこられたんだから、きっと生きていけるはずなのに。
「大丈夫ですよ。お嬢様なら、大丈夫……」
時實の優しいしゃがれ声が耳に届く。枕元のスツールに腰掛けた時實が布団を首元まで掛け直してくれる。
薄く目を開けようとして、とろんとする。
「そうかな……大丈夫、かな……」
考えているうちに、うとうとと眠くなってきた。
掛け布団越しにとんとんと優しいリズムを感じながら、私は眠りに落ちていく。
「時實……や、静真……は、偉いね……こんな……時間まで……」
私はむにゃむにゃと、何を言っているのかだんだん分からなくなりながら、思いつくままに言葉を紡ぐ。
「ごめんね……わがままな、お嬢様で……」
最後に耳に届いたのは、静真の入室する音で。
私は二人に見守られながら、眠りについた。