眠れぬ夜のお嬢様と執事の寝物語〜温かいハーブティーをどうぞ。さ、おやすみなさいませ〜
眠れぬ夜 三日目

ようこそ、眠れぬお嬢様。 本日は、甘酸っぱいクランベリーのハーブティーなんていかがです?

 今日も私は眠れない。

 私はぼそりとつぶやく。

「眠れそうに、ないな……」

 私が眠るまで、執事の時實も、見習いの静真も、ずっとそばに居てくれる。

 申し訳ないけど、ありがたい。夜は一人でいるより、安心するから。

「眠れませんか、お嬢様」

 齢六十になる時實が、落ち着く声で優しく尋ねてくれる。

「うん……」

「では新しいハーブティーをお持ちしましょう」

「ありがとう」

 若手の静真が注ぎにいくのかと思ったら、時實が自ら部屋を去った。

 急に静真と二人きり……。

 深夜の寝室に恋人でもない男女が二人でいるって、普通はありえないんだろうな。なんて、ちょっと思う。でも、うちでは普通だから、気にしないことにしている。

 それに、燕尾のスーツを着こなして直立する、緊張感のある仕事姿を、異性を見るような目で見ちゃいけないよね。

「お嬢様」

 静真の凛とした声が響く。私は思わずどきりとしながら、

「なに……?」

 と尋ね返す。

 静真は眼鏡越しにまっすぐこちらを見つめて歩み寄ると、ベッドのすぐ横に跪いた。

「安眠のツボというのをご存じですか?」

 安眠のツボ?

「はい。眠りを妨げる内臓や器官に対応したツボを刺激することで、不眠が緩和されます」

 彼は何か二冊、本を小脇に抱えている。

「ふーん。ツボ……って、なんとなく、体に良さそうなイメージあるかも」

 私の悪くない反応に、静真は少し安心したように僅かにほほえんで、

「試してみても、よろしいですか?」

 と。

 見つめ合う。

 静真の真っ直ぐな視線に胸がときめく。

 優しさと理知を併せ持った瞳の奥で、私の安眠を思い描いてくれているのだろうか。

「はい……」

 勝手に口がそう頷いていた。

 静真はぱらぱらと本のページを繰り、
 
 耳たぶの裏のくぼみと完骨のほぼ中央から約三センチ下にあるツボが安眠のツボです、と説明する。

 そして膝立ちになると、「失礼いたします」と一声かけ、枕にうずめている私の耳まで手を伸ばす。

「ここ、かな……」

 探り探り、たとたどしい手つきで安眠のツボを探す静真。

 近い……静真の眼鏡が、私の顔に当たりそう。

「自律神経を休息モードにするのです」
 とか、なんとか、難しい説明が続く。

 吐息がかかってこそばゆい。
 歯磨き粉のミントの匂いがする。
 私も歯を磨いたあとだから、よかったな。

 気持ちいい……けど、触れる度にドキドキする。

 静真は本を片手に、丁寧に生真面目に続ける。

 よく眠れない私のために、調べてくれたのだろうか。

 その時、耳に間近に息がかかった。

「ひゃうん!」

 びっくりしてぱっと離れる私に、

「お嬢様?」
 驚いた顔でこちらを見つめる静真。

「ごめん、なんでもないの」

 気まずい沈黙。

 しかし静真はにっこり微笑んで、
「リラックスしてくださいね」
 と、またツボ押しを再開。

 ああもう、眠気なんて覚めちゃうよー。

 硬直したまましばらく身を任せていると、控えめなノックと共に時實が入ってきた。

「いかがですか、お嬢様」

 緊張している私の姿を見て柔らかに微笑む時實。

「う、うん……」

 ぎこちなく返す私に、時實はハーブティーを静かに用意してくれる。

 た、た、助けて~っ。時實!
 心臓の音が静真に聞こえたらどうしよう。

「お茶が入りましたよ。クランベリーのハーブティーです。冷めないうちにどうぞ」

 甘酸っぱい香り。紅色のティーに三種のベリーの果実が浮かんでいる。

「いただこうかな……」

 私がそう言うと、ツボ押しを中断する静真。

 ごくっ。

 一口飲むと、ちょうどいい濃さの苺やブルーベリーの風味がのどを通っていく。

 はあ……落ち着く。
 ちょっとだけ、心がリセットされたかも。

 目の前には、静真の真っ直ぐな視線が、再開を今か今かと待ち構えているけど。

 ……でも、ようやくさっきのツボ押しが効いてきたのか、なんだかウトウト、眠れる気がしてきた。

 もう、身を任せよう……。
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