悔やみ状
それから学校は何事もなく終わり、帰宅部の響人は1人で帰路を歩いていた。普通なら新しいクラスに馴染めるだろうか、勉強についていけるだろうかと考えるこの時期に響人の脳内は今もまだ、『命』と『殺生』のことでいっぱいであった。手に持った『高瀬舟』は、空き時間の間にすっかりあとがきまで読んでしまっていた。本の表紙をなんともなしに見つめていると、ふと足元に何かを見つけた。
「..............。」
小さな羽虫、ミツバチの類の蜂が瀕死の状態で蟻に運ばれていた。蜂は苦しそうに力なくもがき脚を動かしているが、そんなことはお構い無しに蟻たちは数匹で協力して蜂を運びながら道を横断している。
響人はその様子をみて背中にゾクゾクッと強く何かが走るのを感じた。今、蜂はどんな気持ちで運ばれているのだろうか。蟻に顎で噛みつかれ持ち上げられ、貪り食われる未来がもしみえているならどう感じるだろうか。
響人はいてもたってもいられなくなり、その虫の塊を勢いよく踏み潰した。ジリジリと捻りを加え、足を上げてみると粉々になった蜂と数匹の蟻の死体がそこにあった。靴の溝に入り込んで生き残った蟻たちは、一瞬の戸惑いを見せてから再び蜂の肉塊を運び出した。中には死んだ仲間の死体を持ち上げる者もいた。その光景を見て、響人が恍惚とした表情をしているとすぐ後ろから明るい声がかかった。
「なにしてるのー?」
振り向くとそこには帰宅途中の小学生がいた。黄色のキャップをかぶり、紺色のランドセルにパーカーと短パンを履いた低学年くらいの男の子だ。まんまるの瞳を響人に向け、見つめている。
「アリさんの仕事を見ていたんだ。」
響人が優しく答えしゃがみこむと、少年も同様にしゃがみこんだ。
「これ、何のくずを運んでいるのかな…。」
響人は少年が蜂の肉塊を”くず”と呼んだことに胸を高鳴らせた。
「さあ...なんだろうね。」
口角が上がりそうになるのを必死に堪えながら、相槌を打った。そしてこの少年と自分の気持ちを共有したいという欲望でいっぱいになると、思わず口をついて言葉が出た。
「そうだ、この本、読んでみない?お兄ちゃんはもう読んだから、あげるよ。」
響人は少年に『高瀬舟』を差し出すと、満面の笑顔で微笑みかけた。
少年は多少戸惑った素振りを見せながらも本の表紙を見つめる。
「たか...なんて読むの?」
「”たかせぶね”だよ。命の重さや人としての生き方について考えさせられる本なんだ。」
「なんだか、難しそう...。」
少年は怪訝な顔つきをした。
「大丈夫。今すぐに読まなくてもいい。貰ってくれるだけでいいんだ。」
本当なら今すぐ無理にでも読ませたい。本を掴む手に力がこもる。
「......わかった、お兄ちゃん、ありがとう。」
少年が本を手に取るとあっさりと響人の手元からそれ離れた。その間、響人の心は歓喜に満ちていた。この少年といつか『命』について語り会えるかもしれない。そう考えるだけで嬉しかった。
「ねえ。」
パラパラと受け取った本をめくっていた少年が口を開く。
「なんでいろんなところに赤い線が引いてあるの?」
「あ...。」
響人には変わった癖があった。それは本を読んでいて感情が揺さぶられた文章に赤い線を引く、というものである。後から読み返すときにその赤い線の部分だけを読んで興奮を呼び起こし、心地よさに浸るのだった。
本を手渡したものの、うっかり自分の癖について忘れていた。
「いいなと思ったところに線を引いたんだ。変...かな?」
「ううん、だって......。」
少年はランドセルを開き、急いで国語の教科書を取り出し、開いて見せた。教科書には文章の横に所々鉛筆で線が引いてあった。
「ボクもやるもん!お兄ちゃんは変じゃないよ!」
「....そっか。ありがとう。」
響人はその”線”の意味を履き違えている少年に対し、苛立ちと微笑ましさを同時に覚えた。
「それじゃあね。」
その2つの感情が渦巻いて消えなかったことに気味の悪さを感じ、足早にその場を去った。
「..............。」
小さな羽虫、ミツバチの類の蜂が瀕死の状態で蟻に運ばれていた。蜂は苦しそうに力なくもがき脚を動かしているが、そんなことはお構い無しに蟻たちは数匹で協力して蜂を運びながら道を横断している。
響人はその様子をみて背中にゾクゾクッと強く何かが走るのを感じた。今、蜂はどんな気持ちで運ばれているのだろうか。蟻に顎で噛みつかれ持ち上げられ、貪り食われる未来がもしみえているならどう感じるだろうか。
響人はいてもたってもいられなくなり、その虫の塊を勢いよく踏み潰した。ジリジリと捻りを加え、足を上げてみると粉々になった蜂と数匹の蟻の死体がそこにあった。靴の溝に入り込んで生き残った蟻たちは、一瞬の戸惑いを見せてから再び蜂の肉塊を運び出した。中には死んだ仲間の死体を持ち上げる者もいた。その光景を見て、響人が恍惚とした表情をしているとすぐ後ろから明るい声がかかった。
「なにしてるのー?」
振り向くとそこには帰宅途中の小学生がいた。黄色のキャップをかぶり、紺色のランドセルにパーカーと短パンを履いた低学年くらいの男の子だ。まんまるの瞳を響人に向け、見つめている。
「アリさんの仕事を見ていたんだ。」
響人が優しく答えしゃがみこむと、少年も同様にしゃがみこんだ。
「これ、何のくずを運んでいるのかな…。」
響人は少年が蜂の肉塊を”くず”と呼んだことに胸を高鳴らせた。
「さあ...なんだろうね。」
口角が上がりそうになるのを必死に堪えながら、相槌を打った。そしてこの少年と自分の気持ちを共有したいという欲望でいっぱいになると、思わず口をついて言葉が出た。
「そうだ、この本、読んでみない?お兄ちゃんはもう読んだから、あげるよ。」
響人は少年に『高瀬舟』を差し出すと、満面の笑顔で微笑みかけた。
少年は多少戸惑った素振りを見せながらも本の表紙を見つめる。
「たか...なんて読むの?」
「”たかせぶね”だよ。命の重さや人としての生き方について考えさせられる本なんだ。」
「なんだか、難しそう...。」
少年は怪訝な顔つきをした。
「大丈夫。今すぐに読まなくてもいい。貰ってくれるだけでいいんだ。」
本当なら今すぐ無理にでも読ませたい。本を掴む手に力がこもる。
「......わかった、お兄ちゃん、ありがとう。」
少年が本を手に取るとあっさりと響人の手元からそれ離れた。その間、響人の心は歓喜に満ちていた。この少年といつか『命』について語り会えるかもしれない。そう考えるだけで嬉しかった。
「ねえ。」
パラパラと受け取った本をめくっていた少年が口を開く。
「なんでいろんなところに赤い線が引いてあるの?」
「あ...。」
響人には変わった癖があった。それは本を読んでいて感情が揺さぶられた文章に赤い線を引く、というものである。後から読み返すときにその赤い線の部分だけを読んで興奮を呼び起こし、心地よさに浸るのだった。
本を手渡したものの、うっかり自分の癖について忘れていた。
「いいなと思ったところに線を引いたんだ。変...かな?」
「ううん、だって......。」
少年はランドセルを開き、急いで国語の教科書を取り出し、開いて見せた。教科書には文章の横に所々鉛筆で線が引いてあった。
「ボクもやるもん!お兄ちゃんは変じゃないよ!」
「....そっか。ありがとう。」
響人はその”線”の意味を履き違えている少年に対し、苛立ちと微笑ましさを同時に覚えた。
「それじゃあね。」
その2つの感情が渦巻いて消えなかったことに気味の悪さを感じ、足早にその場を去った。