妻を愛するたったひとつの方法
 私が新しくバー「Farewell,My lovely」を開店したのは一年ほど前。前の店「Little Sister」が閉店してから人の縁に恵まれ、新たな立地で新しく店を構えることができた。相変わらず、大きく繁盛してるとは言えない状況ではあったが、立地がやや駅前になったことから少しばかり忙しくさせていただいている。それでも今日は雨の月曜日、店内には静かな空気が流れていた。そんな静寂の中、その男は店の扉を開けた。
 その男、と言ったのは数年ぶりの姿があまりに違って見えたからだ。喪服に身を包んだその男「Little Sister」最後のお客様は一人でカウンターの真ん中にどっかと腰掛けた。雨で濡れた髪からは水滴が垂れカウンターを濡らす。
「お久しぶりです。よかったらこれをどうぞ」
 私はそう言ってタオルを差し出した。男性はタオルと受け取るとガシガシと頭を拭き
「すいません。お久しぶりです」
 と、かすれ声で言った。男性の目に光は無く、頰はこけ顔は青白かった。その姿から奥さんが亡くなったことは想像できたが、それを尋ねることはとてもできなかった。
「ジンリッキーを」
 最初の一杯は変わらずジンリッキーだった。以前なら胸を張り笑顔で飲んでいたのだが、いまは俯き首をかしげながら飲んでいる。たまに、思い出したかのように胸を張るが、長くは続かずまた下を向いて杯を重ねた。
「マティーニを」
 私は男性が好むとびきりドライなマティーニをステアした。カクテルグラスに注がれたマティーニを見ると無理に笑顔を作ろうと引きつった顔で口をつけた。そして
「すいません。最後にギムレットを二杯、いただけますか?」
 数年前注文されなかったギムレットを二杯作りカウンターへ並べる。それを見た男性は、溢れ出す涙をカウンターに落とさぬように天を仰ぎ二口で飲み干して店を出た。カウンターには飲まれることのなかったギムレットがひとつ残った。
「マスター、こっちにもギムレットもらえる」
 カウンターの片隅に座った常連客がそう言ったが私はもうギムレットを作る気になれず
「すいません。本日のギムレットはこのカウンターに残されたもので最後です。その代わりこんなお酒はどうですか? 私にごちそうさせてください」
 そういってテキーラとホワイトキュラソーとライムジュースをシェイカーに入れると、やさしくシェイクしてカウンターへ置いた。
 
 これきり、二度とその男性がこの店の扉を開けることはなかった。

――最後の一杯。すべての終わり――
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