偽装夫婦~御曹司のかりそめ妻への独占欲が止まらない~
「すみません、少し近づきすぎでしたか」
ゆっくりと距離をとってくれて、ほっとした。コホンと小さく咳払いをしてちょっと騒いだ気持ちを落ち着けた。
「大丈夫ですから、お気になさらずに」
努めて冷静に対応した。胸のドキドキが伝わらないように。
しかし彼にはすべてお見通しなのか、口元は緩めたまま。
その顔は今までの紳士然としている彼とは違い、少しいたずらめいた感じがする。
それはそれで、なかなか目をひくので困るのだけれど。
「気にしますよ。だって僕の奥さんになる人なんだから」
お、奥さんって……。
そうだった。その話の途中だったんだ。
「あの、フリっていうのは本気なんですか?」
川久保さんは、顔つきを真剣なものに変えて力強くうなずいた。
「もちろん、本気ですよ。……大切な祖母に僕が結婚して幸せになった姿を見せてあげたい。大切な家族なので」
その後、ご両親のことについて少し話をしてくれた。
川久保さんのご両親は彼が小学一年生のときに、船の事故でこの世を去った。その後、祖父母に引取られて育てられたそうだ。
八年前に川久保製薬の創業者で会長だったお祖父様が亡くなられてからは、家族と呼べるのはお祖母様の豊美さんだけになった……そう淡々と語ってくれた。
「会社は父親の弟、僕から見れば叔父が今は社長をしてくれている。いずれは、僕が継ぐことになると思う」
あの大きな会社を、この目の前の人が……。いわゆる御曹司ということだ。
今までそういうセレブな人たちとは、プライベートで出会ったことがなくどう対応していいのか悩む。