偽装夫婦~御曹司のかりそめ妻への独占欲が止まらない~
「あの……わたしには、とうてい妻の役は務まらないと思います」
一般家庭で育ってきたわたしが、こんな環境でうまくやっていけるはずなどない。
ごく普通の教養はあるつもりだけれど、川久保さんたちが住んでいる世界の一般常識なんて知るよしもないのだから〝フリ〟なんかしても、きっとボロが出てしまうに違いなかった。
そしてこれが一番引っかかっていること。
「それにやっぱり人を騙すようなことは、ダメだと思うんです」
嘘はよくない。小さいころからそう教えられて生きてきた。
けれど彼はその概念を覆そうとする。
「嘘も方便って、言葉知っていますか?」
まあ、たしかにそういうことも今までの人生のうち何度か経験した。そう言われてしまうと素直に『まあ、そうだな』なんて思ってしまう。
うっかり意志を曲げそうになって、慌てる。
なんというか、川久保さんのとの会話は気を抜けない。ともすれば、すぐにあっちのペースに巻き込まれてしまう。
自分をしっかり持たなければ、あっという間に思ってもいない方向へ物事が進みそうだ。
「こんな盛大な嘘、方便で済まないですよ」
必死で断ろうとするけれど、相手は笑顔でなんでもないことのように言う。
「嘘はね、大胆につくのがばれないポイントなんです。覚えておくと役に立ちますから」
「そうなんですね……って、もう!」
やっぱり全然わたしの気持ちが伝わらない。最後に声を上げたわたしを見て、川久保さんは肩を揺らして笑った。
「あははっ、君と話をするのは楽しいな。だから、本気で考えてくれませんか?」
言葉の途中で、真剣な声色に変わる。そして彼の目には懇願の色が浮かんでいた。