魔法使いになりたいか

§10

真っ白い、つるつるの床が続く長い廊下は、何度来ても楽しいもんじゃない。

三人の母と一人の父を看取った俺には、入院病棟なんて、見慣れすぎて気持ち悪いくらいだ。

俺にとっては、そんな記号でしかない。

学校、病院、家と本屋。香澄の部屋は、廊下の一番端っこの、大部屋だった。

カーテンを開けると、ベッドの脇に菜々子ちゃんが座っていた。

ちょっとびっくりしたみたいな顔で俺を見上げて、すぐに椅子を出してくれた。

香澄はぼんやりとした目で、出された椅子に座るまでの俺を、じっと観察していた。

「お見舞いに来た」

「来なくても、よかったのに」

菜々子ちゃんが言った。

「気になったんだ」

「誰が?」

「君が」

菜々子ちゃんとばかり話す俺を、彼女は変な顔で見てくる。

「なにそれ、ヘンなの。うちのお母さんと大人の話がしたかったの? そんな話、するような仲だったっけ?」

俺がにこっと笑ったら、彼女はため息をついて立ち上がった。

「まぁいいよ。洗濯しないといけなかったから。交代して」

まだ小さな菜々子ちゃんは、まだ小さいのに、洗濯をするために部屋を出て行った。

香澄は腕に点滴のチューブをさして、モニターの機械につながれていて、その数値は安定しているみたいだった。

「大きな事故にならずに、よかったね」

「あんたに、なにが分かるの?」

香澄はそう言うけど、俺はこんな風景を、考えてみたら親父の時も含めて、もうずっと見続けている。

「なんとなく、分かる」

香澄はため息をついた。

「何しに来たの?」

「お見舞いに来た」

「来なくてもよかったのに」

そう言った香澄の顔が、菜々子ちゃんのと全く同じで、思わす笑ってしまう。

「菜々子ちゃんと、同じこと言ってる」

香澄はムッとして背を向けたけれども、香澄はここだと怒ったり逃げたり出来ないから、俺にとっては都合がよかったのかもしれない。

「退院したら、一緒に住もう。俺は今でも、君のことが好きだし、出来れば一緒に暮らしたい」

香澄は頭だけ動かして、俺を見上げた。

「は?」

「一緒に、暮らそう」

俺は、笑われると思っていたけど、香澄は笑わなかった。

「いいよ、別に。同情されたいわけじゃないし」

「違う、そうじゃない。本気でそう思ってる。俺の心の準備が、あの時はまだ出来てなかっただけ」

これが俺の謝罪。

なのに、香澄は笑ってくれなかった。

「いらない。退院できたら、また考える」

「分かった」

またフラれた。

だけど、なんとなく俺はうれしくなってしまった。

「毎日、お見舞いに来てもいい?」

「いらない」

「何か、買ってくるものとか、欲しいものはある?」

「別にないよ」

「お腹の子は、男の子なの、女の子なの?」

香澄は今日初めて、ちゃんと俺を見上げた。

「名前、考えておかなくっちゃね」

自分が誰かの名付け親になるなんて、想像もしなかった。

どんな名前にしよう、子供がおおきくなって、なんでこの名前にしたのって聞かれたら、ちゃんとした理由を言える名前がいいな。

「あんたって、本当にバカだよね」

香澄は結局、最後まで笑ってくれなかったけど、代わりに俺が笑っておいたから大丈夫。

二階の部屋を片付けておこう、尚子と千里も追い出せるし、一石二鳥だ。俺にも家族が出来る。

家に帰ってテレビをつけたら、尚子と千里が姉妹だということが、芸能ワイドショーで大騒ぎになっていて、それを見てまた笑った。
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