魔法使いになりたいか

§14

毎日届けた無駄な婚姻届にも、効能はあった。

その話しを聞いた香澄のお母さんと、俺は会うことになった。

「あの子が死んだらどうするの?」

病院の喫茶コーナー。

とってもアットホームな雰囲気のこぢんまりとしたお店で、客席はわずかに三テーブル程度、使い込まれた傷だらけのグラスに飲み物が注がれ、解放的な空間演出に、すぐ脇を来院者たちが通り抜けていく。

「死んだら、死亡届を出して、火葬に出します」

「子供は?」

「俺の子供ということになりますよね」

「うちで今後とも一切面倒はみないよ」

「当然です」

「入院費用は払う。後は勝手にして」

「分かりました」

後は、香澄自身と菜々子ちゃんの許可だけ。

香澄の病室を覗いても、ずっと寝てるだけだし、相変わらず看護師さんも主治医も、俺には何も教えてくれない。

菜々子ちゃんは、最近はずっと家の居間に来ていて、ひたすら尚子と北沢くんからもらった本で勉強している。

「俺を、お父さんにしてくれる?」

「あたしが結婚するんじゃないから。誰がなっても私には関係ないし」

やっぱり、香澄に意識を取り戻してもらうしかない。

もしも、導師が今でも話しが出来るなら、きっと魔法をかけてくれたに違いない。

俺の結婚の望みは叶わなくても、せめて香澄を、一時だけでも、目覚めさせることは出来ただろう。

俺は中途半端にしか魔法を習ってないから、そんな極意なんてものはさっぱり分からなくて、結局いつもと同じに、何も出来ないでいる。

「導師、なんで俺をもっと早く、魔法使いにしてくれなかったの?」

俺が導師をぎゅっと抱きしめたら、導師は腕から飛び出して逃げていった。

「また言ってる。なんで魔法使いになりたいわけ?」

「この世の全てを支配したいから、大魔王になりたいの」

菜々子ちゃんは、ふんと笑った。

「あんたって、本当にバカだよね」

毎日毎日、婚姻届けを片手に病室に通っていると、いいこともあって、もちろん嫌悪感たっぷりの視線でにらまれるのが九割なんだけど、それでもこっそり味方してくれる人が、わずかながら出てくる。

その日も、菜々子ちゃんの付き添いってことで、俺は病室に入れてもらえた。

「あんた、まだ来てたの」

香澄は酸素マスクをつけていて、体は動かせなくても、口だけは動くし、声は小さくても、意識ははっきりしてる。

「結婚しようよ」

「なにが目当てなわけ? 遺産とかないし、もうすぐ死ぬのに、なんで?」

「俺は初恋の人と結婚できるし、未婚の生涯独身者じゃなくなる。菜々子ちゃんを、簡単に俺の養子にすることが出来て、君の死後の不安も取り除ける」

香澄の半分開いた、焦点の合わない目が、懸命に俺を探している。

「残された時間は少しかもしれないけど、俺は、君を幸せにする」

かけられた布団の上から、香澄のお腹に手の平を重ねる。

「本当は、産みたかったんでしょ、菜々子ちゃんを見てたら分かる」

香澄にはもう、自分の手を動かす力すら残ってないらしい。

「俺はあの頃には、何も出来なかったけど、今なら出来る。君の命は助けられなくても、不安と心配はなくせるし、菜々子ちゃんを、ちゃんと育てる」

俺の後ろで見ていた、菜々子ちゃんが立ち上がった。

「私、あんたに育ててもらうつもりはないけど、自分で育つから」

彼女は、自分の母親を見下ろした。

「だけど、この人なら、成人するまで面倒みてくれる気がする。お父さんって、呼んであげてもいい気がする」

「私みたいになるな、お前は勉強して自立しろって、菜々子ちゃんに教えたのは、香澄ちゃんなんでしょ」

香澄の手が、何かを探していて、菜々子ちゃんは、その手にペンを握らせた。

香澄はガタガタの文字で自分の名前を書いて、菜々子ちゃんがはんこを押した。

他にも証人とか、戸籍とかが必要とかで、あちこち駆け回ってる間に、香澄はまた意識を失って、婚姻届けを提出出来たときには、もう動かなくなっていた。

婚姻届けは無事に出せたのかとお医者さんに聞かれて、はいとうなずいたら、時計を見て死亡時刻を確定した。

菜々子ちゃんは正式に俺の子供になり、俺は菜々子ちゃんの正式な保護者になった。

彼女はうちに引っ越してきて、そしてまた、うちに位牌が増えた。

「なんかこの部屋、縁起が悪いよね」

「全部、腐れ縁だからね」

「ヘンなの」

菜々子ちゃんは泣いていて、俺はその泣き顔を、初めて見た。

なってみてようやく分かったけど、保護者というのは結構急がしい。

参観日とか、持ち物とか、親の会とか、他にも色々たくさんあって、かつてないほどの雑用に追われている。

菜々子ちゃんはちゃんと約束を守って、俺のことを『お父さん』と呼んでくれていて、それだけはとてもありがたいし、助かった。

そして、導師がいなくなった。

数日前から、用意した餌を食べていない、姿も見ていない。

菜々子ちゃんに聞いたら、三日前には、うちにいたのを見たという。

「どっかに行っちゃったのかな、俺をおいて」

結局俺は、魔法使いになんてなれなかった。

きっとそんな素質もなかったし、尚子たちの言う通り、夢を見ていただけなのかもしれない。

「あたしがいるから、いいじゃない」

「菜々子ちゃんがいたって、魔法は使えないよ」

「あたしと、お母さんを幸せにする魔法をつかったんでしょ」

彼女は呆れたように言う。

「それで、世界を救ったっていうことで、いいんじゃない? 魔法使いの大魔王なんでしょ?」

導師は、菜々子ちゃんは魔女になるかもって、言ってた。

「きっと、導師の役目は終わったんだよ、それで、次の人の所に行ったんだよ」

「そうなのかな」

「そうだよ。よかったね」

彼女がそう思うのなら、そういうことにしておこう。


俺は多分、魔法使いになった。


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