さよなら、センセイ
恵の一生懸命さは、いつでもちゃんと伝わる。そしてそれは結果として返ってきた。


そう、競技会では、三年生全員が決勝まで進む快挙を成し遂げたのだ。
しかも立花綺羅は3位になり、部員達は狂喜乱舞。最後の出場者、丹下広宗には否が応でも期待が高まった。



ヒロは、選手控え室で珍しく緊張していた。皆の期待を一身に受けていること。いつもならそれはヒロにとって些細なこと。気にもならない。
しかし今日は何だか違う。期待がプレッシャーと変わっていく。

実はヒロはいつも入賞こそするが表彰台に上がったことはない。
いつもは他の部員は予選すら通らない。だが今日は全員が決勝まで進んだ。
優越感から生まれる余裕が無いのだ。


「丹下くん」
そんな強張ったヒロに声をかけてきたのは
恵だった。恵はヒロに歩み寄る。

「リラックス。ガチガチじゃない」

ヒロは二人だけしか聞こえないささやき声でつぶやいた。

「抱きしめてよ、キス、して」
「それ、出来ると思う?」

ヒロは首を横に振り、控え室のベンチに座った。
周りの選手が皆強敵に見える。

これほど余裕がないのは初めてでどうしたらいいかわからない。
すぐ隣に恵がいてくれるのが本当に心強い。
彼女、としてではなく、顧問として居てくれるのだとしても。


「リラックスなんて、先生に言われなくてもわかってます。
今、気持ちを集中させて高めているところですから」

声が強張っている。そんなヒロの隣に座って、恵はポンとヒロの肩に手を置いた。

「丹下くん。別に記録なんてどうでもいいから。
順位もタイムも一過性のものよ。次の大会、次の次の大会と、いつも記録は作られていく。だから、皆、すぐに新しい方に飛びついて過去の記録は忘れちゃう。

でもね。

丹下広宗くん。
あなたの歴史はどうだろう。これが高校生活、いえ、あなたの人生、最後の競技会になるはずよ。
皆の期待とかそんなもの、どうでもいい。
他の誰でもない、自分の為に。
この高校生活の締めくくりとして、悔いのない泳ぎをしよう」


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