さよなら、センセイ
「恵、タンゲっつう男から電話じゃぞ」
「え⁉︎」
恵は、ビックリして母から電話を受け取った。
母は、訝しげに恵を見ている。
「もしもし、代わりました」
「あ、俺。ゴメンね、実家にまで電話したりして」
ヒロの声だった。恵は久しぶりに聞く愛しい声に胸が熱くなる。
「ううん、どうしたの?」
「実はさ、母さんが、今年の正月は温泉に行きたいって言い出して。自分で勝手に予約してたんだ。
その温泉っていうのがさ…」
ヒロの告げた温泉地を聞いて驚く。地元の者くらいしか知らないような、小さな温泉地。しかも、恵の実家からほど近い。
「お母様、よくご存知ね」
「ヒデは彼女とハワイ行ったし。
俺と両親で行くんだけど、メグん家近いんだろ?
寄ってもいいかな?
っていうか、どうも母さん、はなっからメグん家が目的で温泉決めたみたいなんだ」
確かに大会社の社長一家が年を越すような立派な宿があるわけでもない。
自然豊かな秘湯、と言えば聞こえはいいが何もないところをわざわざ選ぶ理由はない。
「いつ?」
「明日出発する。昼過ぎには、そっちに着くよ」
「…わかった。待ってる」
恵が電話を切った。
母は、待ってましたと言わんばかりに恵に問う。
「今のがお前の好いとる人かい?」
電話中も聞きたそうに恵の周りをウロウロしていた母。
恵は、素直に認めた。
「うん。温泉入りに家族で明日、こっちに来るって。それで、家にも寄らせて欲しいって。
あんな温泉、何にも無いのにね」
「へぇ、そうかい。
んだども、このところあそこは政治家さんとかがお忍びでやって来とるんよ。
何にもねぇところが逆にええんだと」
恵はそれを聞いて、なるほどと思う。丹下社長が腰を上げたのも、案外その辺に理由があるのではないかと思った。