元社長秘書ですがクビにされたので、異世界でバリキャリ宰相めざします!【番外編】
「それじゃあ、邪魔したな」
日が暮れる前に、ゲンツはプロケシュ大使の館を後にした。
「またいつでも遊びに来てください。僕もオーストリアに戻れることがあったらご挨拶に伺います。必ずまた会いましょう」
玄関ポーチまで見送ったプロケシュ大使は次の約束を紡ごうとしたけれど、返ってきたのは弱々しい笑みと「ああ」という短い返事だけだった。
「いい文章家になれよ」
最後にそう言い残して馬車に乗り込んだゲンツの背を見て、プロケシュ大使はあきらめにも似た予感に襲われる。
――ああ。きっともう。この人が時代を綴る姿は見られない。
遠ざかっていく馬車を、プロケシュ大使はいつまでも見送る。夕日に染まり赤かった馬車は、やがて夕闇の中に、消えた。
【Ende】
【フリードリヒ・フォン・ゲンツ】
シレジア、ブレスラウ出身。5月2日生まれ。
大学で哲学者カントのもと法律と哲学を学び、卒業後は枢密院の秘書官となる。語学に長け、的確な哲学的表現の才を持つ彼はフランス革命をきっかけに、一躍政治ジャーナリストとして名を馳せた。さらに、『フランス革命の省察』(エドマンド・バーグ)を独訳したものがベストセラーになり、政治的著作家として話題を呼ぶ。
その後、政治顧問官としてオーストリアからスカウトされ、当時外相だったメッテルニヒと交流が始まる。ウィーン会議では事務総長を務め、今も歴史的資料として残るウィーン会議の記録は彼の筆によるものが多い。
メッテルニヒとの交流は三十年近くにもわたり、457通もの手紙のやりとりをしていた。
師であるカントを真っ向から批判する著書を書くような豪胆な情熱家でもあり、その一方で政敵からの暗殺を過剰に恐れメッテルニヒにからかわれるなど、臆病で繊細な一面もある、人間味あふれる性格だった。
1832年6月9日没。
葬儀に参列したメッテルニヒは弔辞で彼の才能を称え、涙し、また、彼の遺した借金もすべて肩代わりして清算したと記録に残っている。