始発列車/あるいは誰に届くのかもわからないストーリー
例えば五十嵐先生が教師じゃなかったら。
私が生徒じゃなかったら。
どこかに希望を見いだせたのだろうか。
そしてそれを運命と呼べたのだろうか。
そうだとしたら、それを確信できていたら私は動くことができたのだろうか。
運命の歯車を回すことができたのだろうか。

もしもの話に想いを募らせるなんてくだらない。

分かってる。
物語の主人公たちは、運命の人が分かっているから動き出したわけじゃないってことは。
主人公たちが運命を動かしたのだということは。

次第に空が白みだす。
明るくなったと思ったら、あっという間に日が昇っていくのだろう。
ここからじゃ日の出も見れないけれど。

ため息を溢すと、ガチャガチャと音がした。
静けさを壊るようにシャッターが開く。
駅員さんだか警備の人だかは知らないけど、ご苦労さまです。

始発にはまだ時間があるものの、駅が開いてくれて助かった。
いくらなんでもずっと地べたに座りっぱなしはキツイ。
ほとんど誰もいない駅の中で、働いている駅員さんを横目に改札を抜けてホームに向かう。
たどり着いたホームのベンチに腰をかけて電車を待つ。
当然ながらまだその気配は無く、手持ち無沙汰を持て余しながら瞼を下ろす。

「最近、泣いてないなぁ」

マンガを読んでも、映画を見ても、友達といても。
心から笑うこともなく、張り付いたような笑顔で当たり障りなく。
それが当たり前になっていて、何かを一心不乱にするなんてことは、一生懸命にぶつかるなんてことは、この1年無かった。
情熱を注げば何かを得るなんて、努力は必ず報われるなんて、そんなのは嘘だと思う。
正直、道なき道を切り開くよりも、長いものに巻かれたほうが世の中うまく行くことのほうが断然多いはずだ。
だからこそ大学も合格“できるだろう”ところを選んだし、それなりに受験勉強もしたけれど、それなりだ。
受からなきゃいけないプレッシャーもなければ、どうしても就きたい職やしたい勉強があるから選んだ訳でもなくて、落ちたら落ちたなりにそれなりに過ごすだけだと楽観した気持ちがあった。
合格したときは、それもそれなりに嬉しかったけれど、やっぱりそれなりで。
受かるだろうなってラインの大学しか受けなかったから苦労話もなければ、泣くほど嬉しかった訳でもない。
入学において、人間関係に少々の不安を抱えたくらいだ。

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