桜の花が散る頃に
「虎轍、お客さんかい…?それと、トイレ…」
声の感じからして、多分住所を教えてくれた奴が言ってた、
「ばーちゃん!起こした?ごめんね、俺の友達が来てて…今行くからちょっと待っててー」
やっぱり、お婆さんか。
声は弱々しいし、体調が悪いというのは本当みたいだ。
それより…
玄関にあったのは、大きな男物の靴と、女物の履きやすそうなスリッパ、それも滑り止め付きのものだけ。
住所教えてくれた奴が“実家”って言ってたから、てっきり虎丸の両親も住んでいるものだと思い込んでたけど…。
夏実に聞こうかと思ってパッと横を見ると、さっきまで座っていたはずの夏実が居なかった。
「おばあちゃん、私が支えるんで、トイレ行きましょう?」
い、いつの間に隣の部屋に?
つか、凄え行動力…!
「あ、藍泉さん!俺が行くから…」
「大丈夫だよ心配しなくても。私去年の夏場、老人ホームで仕事してたから!それに女は女同士ですよね、おばあちゃん。虎丸君は休んでな?」
その光景を見た結城が、慌ててお婆さんに駆け寄った。
男三人呆気に取られていたが、その後すぐに夏実の行動の意味が分かった。
玄関にいる時は逆光で分からなかったが、電気の下だと良く分かる。
虎丸の顔色が、あからさまに悪い。
学もその事にはすぐに気付いたようだ。
「もしかして大丸君、君一人でお婆さんを介護しているのか…?」
あ、今同じ事を聞こうと思った。
学の質問に、大丸は右手で頭のこめかみの辺りを摩りながら、「ああ。」と答えた。
「…俺以外に家族いねぇし。」
何か事情がありそうで、俺も学もそれ以上は何も聞かなかった。
少し経って、お婆さんと女子二人が笑顔でトイレから戻ってきた。
「いやいやーまだまだお若いですって。82には見えないですもんー」
「あらぁ、なつみちゃんはお世辞が上手ねぇ」
いや、めっちゃ仲良くなっとるー。
たった数分なのに、打ち解けるって…女、凄い。
とりあえず座らせた虎丸も、それを唖然とした顔で見ている。
「ばーちゃんがちゃんと笑ったの…久しぶりに見た。」
ぼそっと虎丸が言ったが、普段のお婆さんを見てない俺でも分かるくらいに、お婆さんがニコニコと笑っていた。
「あ、ばーちゃん、起きてるうちに薬飲もっか。今持ってくる。」
席を立つ虎丸は、少しふらついているように見えた。
薬を飲んで布団に戻ったお婆さんを見て、女子二人と虎丸が和室に戻ってくると、お婆さんに聞こえないようにと夏実が小声で話しだす。
「さっきから何度も頭を抑えてるけど、痛むの?それにクマ…寝てないっしょ。おばあちゃんが心配なのは分かるけど、それで虎丸君が体調崩してちゃ元も子もないさね。」
全くその通りです。
全員が頷きながら虎丸に目をやると、虎丸は目を伏せてぐっと拳を握りしめた。
「俺しかいないんだ、しゃー無いだろ。一人で歩けないから昼夜問わずトイレの付き添いが必要だし、薬は決まった時間に一日5回飲まなきゃならねぇ。だから…ばーちゃんをちゃんとした施設に入れてやりたくて、学校休んで内職バイトしてたんだ…。」
聞いた内容は、凄いシビア。
虎丸は続けて言った。
「…そのバイトで稼いだ金と学費を合わせるとギリギリ施設に入れてやれるくらいはあるんだ。だから俺学校辞めて働こうかなって…思ってる。」