恋のレッスンは甘い手ほどき
お昼のピークが過ぎれば、食堂もだいぶ落ち着いてくる。
遅れて昼食を取りに来たり、休憩に来た人にはチラチラと見られていたが、あからさまな敵意や嫉妬は寄せられなかった。
そして金曜日ということもあって、みんな足早に帰宅するのか閉店までいる人は少なく、20時半には上がることが出来た。
「お疲れ様でした」
他の職員に声をかけ、裏口から表へ出る。
ロッカーで着替える前に貴也さんに連絡したら、「会社の玄関前で待っている」とすぐに返信が来た。
裏の食堂社員通用口から表へ出て、会社の前へ行くと玄関ロビーで貴也さんがスマホをいじりながら立っているのが見えた。
何気なく立っているだけでも絵になるのだから妙に腹が立つな。
退勤する女性社員達がチラチラと振り返りながら通り過ぎるのにも見向きもしない。
なんて人と恋人契約してしまったのだと改めて心の中で小さくため息をつく。
貴也さんの元へ向かって歩こうとすると、玄関から一人の女性が現れた。そして、そのまま躊躇なく貴也さんの腕に抱き付くように絡ませ、何やら話しかけている。
貴也さんに甘えるように寄り添って話しかける様子に思わず足を止めて物陰に隠れる。
「あれ、誰……?」
髪はセミロングで茶色いゆるふわパーマ、小柄で小動物のようなクリッとした瞳の雰囲気の可愛らしい女性だ。私とは雰囲気がまるで違う。
貴也さんはどこか面倒くさそうに相手をしているが、その腕は振り払わない。
そして女性は小顔の頬を膨らまして拗ねるような表情をしてから、貴也さんから離れて駅の方に歩いて行った。
貴也さんは気にした様子はなくスマホを見続けている。
……可愛い人だったな。
なんとなく親し気な雰囲気もあったし、仲が良いのだろうか。
食堂で女性に話しかけられている貴也さんを見かけることはあったけれど、その人たちとはどこか違う感じだった。
しかも、凄くお似合いで絵になる二人だった……。
その場でつい俯いてしまい、ハッと顔を上げる。
……いや、だから何だっていうのよ。
別に貴也さんが誰と親しくしていようが、私には関係ない。
偽物の表面だけの恋人なんだから、貴也さんのプライベート何て関係ないんだ。
なぜか動揺した自分にそう言い聞かせて気持ちを落ち着かせ、玄関前で待つ貴也さんの元へ歩いて行った。
「お待たせしました」
「ああ、お疲れ」
私の声に顔を上げた貴也さんは目が合うと「ん?」と首を傾げた。
「なんかあったのか?」
「え? 別になにも……」
いつも通りに来たつもりだったが、貴也さんは私の少しの変化も見抜いた様だった。
「そうか? なんだか顔が怖いぞ」
そう言って私の頬を下からムニュと掴んでくる。
口がタコになると「ふっ」と吹き出して笑われた。
「もう! やめてください」
「はいはい。じゃあ行こうか」
笑われながら、手を繋がれて歩き出す。あまりにも自然と繋がれた手に一瞬気が付かなかった。
手、繋ぐんだ……。
さっきの女性は自分から貴也さんの腕に絡んでいたが、貴也さんからは触れていない。
私には自分から手を繋いだ。
それは偽の恋人だからなんだよね……。
初めからそういう約束なのに、わかっているのになぜか心がキュッと苦しくなる。
なんだっけ、この感じ……。
「金曜だし、何か食べていくか」
貴也さんの声かけに引き戻され、顔を上げて微笑んだ。
「そうですね、お腹空きましたね」
同意すると貴也さんはニヤリと笑って、「じゃぁ、あそこだな」と私の手を引いて駅とは反対方向に歩き出した。