恋のレッスンは甘い手ほどき
「何しているんだ?」
カウンターキッチンの反対側にあるリビングからそう声を掛けられ驚くが、「なんでもないです」といつものように返事が出来た。
「昨日はありがとうな。予想通り、お陰様で久しぶりによく眠れた」
ご飯を食べながらスッキリした顔でそうお礼を言われ、一瞬返事が遅れた。
「い、いえ。よく眠れたならなによりです」
「お前はすぐに部屋に戻ったのか?」
「えっ、あ、はい」
コクンと頷く。どうやら貴也さんは私が隣で寝ていたことに気が付いていないようだ。
そのことにホッとし、その反面、それほど熟睡できたのかと驚きもある。
表情を見ても、だいぶ調子は良さそうだ。本当に不眠だったのかもしれない。
少し疑った自分に反省する。
「今日はもう体調はいいんですか? 昨日より顔色が良いですね」
「ああ。仕事には行けると思う」
味噌汁をすすりながらサラッと言うため、一瞬聞き逃しそうになった。
「え? 何言っているんですか。ダメですよ。医者に二、三日は休めと言われましたよね? 仕事は来週から行ってください」
「いや、もう大丈夫だから」
「ダメですってば。医者の言うことには従ってくださいよ」
半ば呆れ気味に言うと、貴也さんは少し思案顔をした。
そして、リビングに置いてあった診断書を眺めて渋々と頷いた。
良かった。
こういうこともあろうかと、医師にその場で書いてもらったのだ。
「医者よりも自分のことは自分が良く分かっている」
「え!?」
そう言うと、手に持っていた診断書をポイッと机に投げ捨てた。
いやいや、なにを言っているのだとため息をつきながらそれを拾う。
「わかっていないから倒れたんじゃないですか?」
「言うね~……、何? なんか機嫌悪い?」
ついきつい言い方をしてしまった私に、貴也さんは苦笑しながらそう指摘する。
「別に……、そんなんじゃないです」
コホンと軽く咳払いをして、否定した。昨日の写真と言い、今朝のことといい、なんだか調子がくるってしまう。
なんとなく貴也さんに勝手に振り回されているような感じがして、自分に呆れてしまった。
「そこまで言われたら仕方ないな。今日は自宅勤務に切り替えようかな」
ため息交じりに言われて、顔を上げる。
「そんな事出来るんですか?」
「事情を話せば融通はきくだろう。次の案件がくるまでは急ぎの仕事もないし」
そう言って私の頭をポンッと優しく撫でてきた。昨日のぬくもりを思い出してつい身体が強張る。
心臓が激しくドキンドキンと鳴っていた。
「体調が悪い時は無理して練習してくれなくていいんですよ」
食事に視線を向けるふりをして俯くと、軽くおでこをデコピンされた。
「いたっ。何するんですか」
私の抗議の声にも貴也さんは冷たい視線で受け流す。
「今のは練習じゃなくて感謝の意味合いが大きい。なんでも練習と思うなよ」
「はぁ? なら言葉で言ってくださいよ。紛らわしい」
意味が分からないと抗議をするが、貴也さんには「恋愛初心者はまだまだ練習がたりないねー」と言いながら食器を片づけている。
ますます貴也さんがわからない。練習と言いながら、単に私をからかって遊んでいるだけのような気もしてきた。