恋のレッスンは甘い手ほどき
「何しているの?」
その可愛らしい声に彼女たちは振り向いた。相手が誰だか気が付いた途端に、その顔には動揺が広がる。
私も思わず「あっ」と言いそうになって口を閉ざした。
そこにいたのは安住茉莉である。
ストライプのワンピースに秋色らしいエンジ色のカーディガン。フワフワの茶色い髪。控えめなピアスが可愛らしい顔立ちを引き立てている。
その茉莉がコクンと首を傾げている。
「ねぇ、何しているの」
可愛らしい声色とは裏腹に、どこか問いただすような響きが含まれている。
私を取り囲んでいた女性二人は「別に」「なんでもない」とモゴモゴと言い訳しながら走り去っていった。
その逃げ足の速さに唖然としていると、「大丈夫ですか?」とのんびりした声で尋ねてきた。
「あ、はい。ありがとうございます」
驚きつつもお礼を告げると、茉莉は「ふふ」と笑みをこぼす。
「余計なことでしたか? あなた怖がっている様子なかったし」
「いえ、助かりました」
声をかけられる前から自分の様子を見られていたのか。
それにはドキッとしたが、助けてもらったことには素直にありがたいと思っている。
しかし、まさかあのお見合い写真の茉莉に会って話すなんて思いもしなかったから戸惑いが隠せない。挙動不審で怪しまれる前に、ここはさっさと引き上げるが勝ちだと思った。
「では、これで」
軽く会釈してカフェへ戻ろうとした時。
「滝本鈴音さん、ですよね」
後ろからそう一言、声をかけられた。
反射的に振り返ると、茉莉はニッコリと笑い「正解した」と嬉しそうに話した。
「木崎貴也さんの恋人なんですってね」
なんだろう。その一言が凄く怖く感じる。
どう答えるべきか一瞬迷ったが、恋人だと公表しているのだからそこはごまかせない。
「いやいや違うんですよ、実は……」なんて軽々しく言えたものではない。
「そうですけど……、何か?」
私の反応に先ほどのこともあってか警戒されていると思ったようで、茉莉は笑顔のまま首を横に振った。
「そんな警戒しないで下さいよー。私は安住茉莉と言って、経理部にいます。貴也君の幼馴染なんです」
「幼馴染?」
思いがけないセリフに一瞬目を丸くしてしまった。
ふたりは昔からの知り合いだったということ?
「ええ。実家が近所で、しかも貴也さんの弟と同じ年ということもあってよく遊んでいたんですよ。彼から聞いていませんか?」
茉莉さんは数歩私に近寄ってから、顔を覗き込むように見上げてくる。
貴也さんに弟がいたことも、こんな可愛い幼馴染がいたことももちろん聞いたことがない。
むしろ、プライベートな話をしたことがなかった。そこはごまかしようないことであるから、素直に話す。
「ごめんなさい、聞いていないです。まだ付き合って間もないですし」
「へぇ、そう」
自分の話をされていないことに対してなのか、素直に面白くなさそうな表情を見せるが、すぐに笑顔を向けてきた。
「貴ちゃん、休みだけど具合悪いんですか?」
貴ちゃん、という親し気な呼び方にドキリとする。
きっと昔からそう呼んでいるのだろう。仲が良いのかな。
「ええ、まぁ。でも来週には出勤できますから」
「また過労かしら。たまにあるんですよ、持っている裁判に夢中になりすぎて無理しちゃうこと」
「そうなんですか」
つまりは前も同じようなことがあったということなのだろう。
幼馴染ということもあって、茉莉さんはそのことがよく分かっているということを言いたいのか。
胸がモヤモヤしてくる。早く会話を切り上げたいと思った。しかし、茉莉は話を続ける。
「一緒に住んでいるんですか?」
「はい。そうですけど……」
「あのタワーマンション?」
どのタワーマンションだと突っ込みを入れたくなりつつも、きっと今住んでいるマンションのことだろう。
曖昧になりつつも頷くと茉莉さんはうんうんと頷いた。