恋のレッスンは甘い手ほどき


違うと否定しようとしたが、言葉を発する前に貴也さんは私の肩を抱き寄せてきた。

「え、貴也さん?」
「無理するな」

そう言うと、脇の下と膝裏に腕を差し込んで、ヒョイと持ち上げたのだ。

「!?」

突然の行動に言葉が出ない。
貴也さんの端正な顔が数センチ前にあった。
背中と膝裏に貴也さんの腕が通され、右半身はその逞しい胸元に寄せられている。
えっ、えっ!? 私今、お姫様抱っこされてる?

自分の状況を理解したときには、すでにエレベーターに乗り込んでいた。
幸い住人は誰も乗っていなかったが、背後の鏡にその姿がよく写っている。
貴也さんの肩越しから見えた自分の顔は、隠しようがないほど真っ赤だ。

「た、貴也さん! 大丈夫ですから、降ろしてください!」
「暴れるな、落とすだろ。ちゃんと掴まっていろ」

眉間にシワを寄せて、私に流し目を送る。
その近距離に心臓が跳ねて、慌てて顔を背けた。

「首に手を回してくれ。安定するから」
「で、でも」

貴也さんの首に手を回したら、より一層体が密着する。
戸惑う私に貴也さんは「早く」と急かした。
下ろしてくれそうにもないので、仕方なく手を回して体をくっつける。

どうしよう、心臓が激しく鳴ってうるさい。
あまりの恥ずかしさに、貴也さんの肩に顔を埋める。

貴也さんはフッと笑ったのか、耳元に息がかかった。
思わずビクッと体を震わすと、「くくっ」と笑われてしまった。

「た、貴也さん! わざとですか!?」

体を離して貴也さんを睨み付けるが、顔の近さにハッとして、横を向く。

「何が? 何がわざとなんだよ」

どこか可笑しそうに聞いてくる。

これは絶対わかってやっている。
問い詰めたところで、練習だと言われてしまいそうだ。

顔を背けたまま、気がつくと部屋の前まで来ており、貴也さんは私を抱き上げたまま器用に玄関扉をあける。
そして、リビングまで行くと優しく私をソファーに下ろした。

「もう大丈夫そうだな」

しゃがみこんで私の顔を覗き混む。
もとから貧血なんて起こしてないけど心配してくれているし、否定するのも気が引けて「ありがとうございます」とお礼を呟いた。
すると、貴也さんは右手で優しく私の頬をなでた。
触れられたことで、ピクッと小さく震える。
目の前の貴也さんはホッとしたような穏やかな表情を見せた。
また、そんな優しい顔で私を見てる……。
時々見せるその表情に戸惑いを隠せない。
一度落ち着いた心臓がまた少し早くなった。
なんとなくこの状況に堪えられなくなって、話題を変えた。

「貴也さんも飲んできたんですか? お酒の臭いがしますね」
「あぁ、あのおでん屋行ってきた」

あのおでん屋とは、前に連れていってもらった会社の近くのおでん屋玉井のことだろう。

「今の季節はおでん美味しいですもんね」
「格別だよな。それに、知り合いも来ないからゆっくり飲めるんだ」

そう言って私の隣に腰かけた。
知り合いも来ないということは、あのお店のことは誰にも教えてないのだろうか。
私の考えを見通したのか、「鈴音だけだよ。俺が連れていったのは」と微笑んだ。
私だけ、という言葉にキュンとする。
今日の貴也さんはお酒が入っているせいか、なんだか雰囲気が甘い気がする。
仕草も声も表情も向けられる全てが甘く感じる。
気のせいなのかな。
こういうとき、どうしたらいいのかわからなくて「そうですか」と笑って目を背けるしか出来ない。



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