恋のレッスンは甘い手ほどき
「滝本さんの家はここら辺なの?」
「あ、はい。近所で……。それより、あの……どうして私だとわかったんですか?」
そうなのだ。
なにより驚いているのは、どうしてこの人は私が食堂の人間だとわかったのだろうということだった。
だって仕事中の私は白い制服とエプロン姿で、髪の毛を全て帽子にしまい、マスクを着けている。要は目元しか出ていない。
それでどうして私が同じ会社の食堂で働く人間だとわかったのだろうか。
すると、「ああ」とどこか得意げな笑顔を向けられた。
「目元だけで十分わかるよ。滝本さんは大きな黒目に、ほら右目尻に小さな泣きぼくろが二つあるだろ? それ結構特徴的だから」
そう指摘され、つい右目の下を触る。確かに右目の目じりに小さな泣きぼくろが二つくっついていた。
珍しいので特徴的だねと言われることがある。
でもそれだけでわかるなんて……。
「はぁ~……、よく観察していますね。職業病ですか? さすが、優秀な弁護士さんは違いますね」
嫌味でもなんでもなくただ純粋に感心してそう言うと「それはどうも」と爽やかな笑顔を向けられる。
弁護士だから無意識に相手を観察しているのだろうか。
その観察眼は凄いと思った。
私のことがわかった理由に少しホッとして、力を抜く。
「木崎先生はどうしてここに? 先生も近所なんですか?」
一瞬、何て呼ぼうかと考えたが、弁護士なんだから先生でいいやと思った。
「ん? いや、家は会社の近く。今日はたまたまクライアントからの帰り道で寄ったんだ。少し調べたいこともあって隣の書籍コーナーに参考資料となりそうな本を探しに来ていてね」
「そうなんですか」
確かにその手には購入済みの本が袋に入っていた。
「でもまさか滝本さんに会えるとは思わなかったよ。一瞬、遠くから見かけたときは見間違いかと思ったんだけど、レジに行こうとしてなにげなく漫画コーナーを覗いたらビンゴだった」
「そうでしたか……」
だからといって、そこはスルーして欲しかった。
声をかけられたくなかったし、こっちのコーナーに来てほしくなかった。
それに、同じ会社とはいえ、接点もないのだから普通は話しかけたりしないもんじゃないの?
と愛想笑いを浮かべながら心の中で返事をしていると、こちらを見下ろしていた木崎弁護士が私が手にしていた漫画をパッと奪った。
「えっ、ちょっと」
そしてその漫画をペラペラとめくり、「へぇ、意外。滝本さんってこういうのが好きなんだね。意外とオタクだったりするの?」と笑う。
その笑顔がいかにも「いい年をして夢物語のような漫画を読んじゃって」と言っているように思えて、なんだかムッとしたと同時に恥ずかしくなった。