恋のレッスンは甘い手ほどき
「ねぇ、キザが明日の夕方の便でアメリカへ発つって聞いてる?」
仕事終わり。食堂の従業員出入り口から出ると、そこには野上さんが立っていて開口一番にそう言われた。
「明日……」
もう行ってしまうのか。
最近、貴也さんには会っていない。食堂にも来ていないみたいで、姿を見かけることもなかった。
避けられている。そう思っていたから、私からなにかすることもなかった。
でもついに、明日日本を発ってしまうのか。
「会わなくていいの?」
「いいんですよ。というか、そもそも最近会ってないですし」
へらへらっと笑うと、野上さんは不快そうに眉を寄せた。
「好きなんでしょう? キザの事」
「なに……、言ってるんですか」
「話した方がいいんじゃないの?」
話すって何を?
避けられているのに、話すことなんてない。
「いいんですってば。ほっといてください」
少し苛立ちながら横を通り過ぎようとすると、野上さんに腕を掴まれた。
見あげると、近い位置で野上さんが見下ろしてくる。
「じゃぁ、俺と付き合おうか」
「え?」
ニヤッと口角を上げてそう言い放つ。
「キザと別れたなら俺でも良いでしょ。たいして遜色ないと思うけど」
「何言っているんですか。冗談はやめてください」
掴まれた腕を払おうとするが、離してくれない。
「冗談でこんなこと言うか」
「野上さん……」
本当に、私を好きだと言ってるの?
戸惑いで言葉が出なくなる。
顔を上げると、いつもより近くに野上さんがいる。
なのに、この胸はときめきひとつ起こりはしない。
「貴也さんじゃないと……」
「え?」
「貴也さんじゃないとときめかないみたいです。すみません」
そう謝ると、野上さんは「ふぅ」とため息をつきながら手を放した。
「じゃぁ、そう言ってやれよ。キザに」
「言った所でどうなるものでもありません」
自嘲気味に笑いかけ、挨拶をしてその場を離れた。
そうだ、どうなるものでもない。
貴也さんは明日いなくなるんだから。
年明けからずっと会っていないし、このまま会わない方がいい。
「わかっているのに……」
頬に、大粒の涙が零れてきた。
会わない方がいいのに、もう会えないと聞くと会いたくてたまらなくなる。
その姿を見たいし、声が聞きたい。
また、笑いかけてほしいし『鈴音』と名前を呼んで欲しい。
叶わないってわかっているけど、この寂しい気持ちだけは嘘がつけないでいる。
人に見られないように、俯くしかなかった。