恋のレッスンは甘い手ほどき
目の前にはスーツ姿の背の高い男性。黒髪でとても整った顔立ちをしている。
紺色のネクタイに見覚えのあるネクタイピンが差してあった。
男性は驚く様子もなく、ただ私を見つめてくる。
「なんで……」
かすれた声でそういうと、男性は小さく微笑んだ。
「久しぶり」
懐かしいその声。
もう二度と会うことはないと思っていた。
「いつ日本に帰って来たんですか? 貴也さん」
目の前の男性、貴也さんは微笑みながら目線を落とした。
「先月。帰ってきたらお前が辞めていて驚いた。こんな所にいたんだな」
先月……。帰ってきていたんだ。
「……今日はどうしたんですか?」
戸惑いが隠せず、声が上ずってしまう。
どうしてここに居るんだろう。
たった半年、されど半年だ。あんな別れ方をして、気まずいしどうやって顔を見たらいいかわからない。
「これ。野上から預かってきた」
目の前に渡された書類をみて「あっ」と声が出る。
確かめてみると、やはり紹介してくれる弁護士の名刺とが概要が入った書類だ。
野上さんが貴也さんに持っていくよう伝えたのだろう。もしかしたら、電話をした時点でそのつもりだったのかもしれない。
「すみません。わざわざありがとうございます。オーナーに渡しておきますね」
「元気だった?」
「はい。貴也さんも?」
聞くと頷かれる。
「……」
「……」
何を話したらいいんだろう。
いや、もう話すことなんて何もないんだ。
じわじわと胸が痛くなって苦しくなってくる。その苦しみに支配されたくなくて、私はその場から逃げたくなった。
「じゃぁ……」
そう言って中へ入ろうとした時、パシッとその手を掴まれた。
「待って。少し話せないか?」
掴まれた手が熱くなる。
大きな優しい手。いつも繋いでいた温もりを思い出して泣きそうになった。
「話すって……、特に話すことなんて……」
「俺にはあるんだ」
私の消えそうな声に被せるようにしてそうう訴えてきた。
「……もう仕事が終わります。外で待っていてください」
そう伝えるとスルッと手を放してくれた。
お店に入ってオーナーに書類を渡す。そして軽く片づけを済ませると、ロッカーで着替える。
鏡に映った自分の顔にギョッとする。
なんて強張った顔をしているんだろう。緊張しているのが見え見えだ。
「なんで、今さら……」
話したいことなんてないはずだ。
あの日、送ったメールは既読になることはなく、貴也さんから連絡すらなかった。
久しぶりに会ったからと言って、思い出話に花を咲かせるつもりもないし、まだそこまで心の準備は出来ていない。
憂鬱な気分で外に出ると、待っていた貴也さんが苦笑した。
「頼むからそんな嫌そうな顔しないでくれる?」
「してません。で、話ってなんですか」
貴也さんに促されるまま、歩きながら本題を振った。
早く話を終わらせたい。
貴也さんの側に居ると、胸が苦しくてしんどいのだ。