僕は犬になった?
第3話 楓と健介

僕が楓に出会ったのは大学生活も最後の年。

単位も足りてたし、就職も決まったから、僕は車で一人気ままにドライブに行ったんだ。

計画も無く行き当たりばったりのね。

紅葉に彩られたドライブウェイを気持ち良く走り頂上に着くと展望台の自動販売機でコーヒーを買って、横のベンチで麓の絶景をしばらく眺めていた。

展望台の駐車場は結構広かったけど、時期が時期だけにほぼ満車状態だった。

そこに走り屋らしき改造されたマフラーの爆音を響かせてバイクの一団が入って来ると僕の前に止まり、駐車する場所を捜していた。

僕はこういう人達が苦手だったのでベンチから立ちあがり直ぐに車に乗り込むと展望台を出た。

峠道をしばらく走ると1台のバイクが後から近づいて来るのに気がついたんだ。

バイクはスピードを上げて僕の車を追い抜くと左手を上げて止まるように指示する。

僕は面倒な事に巻き込まれるのが嫌だったけど、逃げ切れる自信もなかったので素直に車を左に寄せて止まったんだ。

バイクは数メートル前に止まるとエンジンを止め、ヘルメットを脱ぐと長い髪が現れた。

バイクから降りて僕の車にやって来た彼女はウィンドウを下ろすように合図した。

その時僕は彼女の顔に見とれてたんだ。

だって彼女はとびっきりの美人だったから。

彼女が笑いながらウィンドウを軽くコンコンと叩いて、やっと僕は我に返った。

僕はウィンドウを下げて
「何かご用ですか?」なんて間抜けな事を聞いてた。

彼女は
「ベンチに忘れてたよ」って言って僕の財布を持って来てくれたんだ。

「あっ、ありがとう。わざわざどうも・・・」ってしか僕は言えなかった。

だって僕は美人が苦手なんだ。

彼女は僕の顔を見て少し微笑んで
「じゃあね、健介」って言って颯爽とバイクの所に戻って行ったんだ。

僕は彼女がバイクに跨がり、去って見えなくなるまで見つめ続けていた。

だってあまりにもカッコ良かったから。

『健介』って言ってくれたことが何だか凄く嬉しかった。

多分財布の中の免許証を見たんだと思う。

だけど僕は意気地無しだからそれ以上何も出来なかった。



それっきり彼女には会えなかったんだけど、財布を見るたびにあの時の事を思い出してた。

もう一度会いたいと思うけど、僕は彼女の事を何も知らない。

名前も住所も年齢も・・・

今までなら直ぐに忘れるはずなのに、彼女の事だけは心から離れなかった。


季節は変わり秋から冬に、そして春が来た。

4月の入社式

僕は何とか一部上場の大手の企業に就職する事が出来た。

会場は大きなホールを借りて行われていた。

僕は新しいスーツを着て、緊張してた。

今日から社会人としての生活が始まるんだから当然だ。

一通りの行事が終わり、会場を出ようとした時、突然「健介」って女性の声で呼ばれたんだ。

僕はびっくりした。

だって知り合いなんて居るはずないから。

居ても下の名前では呼ばれないし、まして女性から呼び捨てにされるのは母ちゃんぐらいだから。

僕は振り向いた。

すると、そこに彼女が居たんだ。

スーツが良く似合うとびっきりの美人の彼女が。

僕はまた彼女に見とれてしまった。

「偶然だね。健介」って彼女は言った。

僕は
「うん、凄い偶然」って言ったと思う。

だって舞い上がっててあんまり覚えてないんだ。

彼女が
「この後時間ある?」って聞いてきた。

「うん、大丈夫」って言ったら

「じゃあ、この前のお礼におごってよ、健介」って言ってくれたんだ。

そうだった。

僕は財布を拾って届けてもらったお礼をしてなかった事に今さらながら気がついた。

でも良く僕の名前何か覚えてたんだとびっくりもしたけど。

「あっ、財布ほんとにありがとう。もちろんご馳走させてください」って僕は言えたんだ。

自分でもびっくりだった。

実は僕は今まで彼女が居たこともなかったし、デート何かした事もなかったから。

だから女の人は苦手なんだけど彼女だけは違った。

彼女は
「じゃあ早く行こう。私行きたいお店があるんだ。お腹ペコペコだし」って言って僕の腕を引っ張って連れ出した。
< 3 / 4 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop