それなら私が女王になります! ~辺境に飛ばされた貴族令嬢は3回のキスで奇跡を起こす~
………
……
――大丈夫かい?
一年以上たった今でも鮮明に覚えている。
ジェイ様の声。そして瞳と微笑み。
あんなに優しい御方が重い罪をおかすわけがない。
(きっと何かの間違いよ! 間違いであって!)
そう念じているうちに、私は意識を取り戻した。
あたりはすっかり暗くなっている。
どうやら私は寝室へ運ばれたらしく、大きなベッドの真ん中で寝かされていた。
「お目覚めですか?」
マインラートさんが水の入ったコップを差し出してきた。きっと私のことをずっと見守ってくれていたのだろう。
律儀な彼の姿につんと鼻の奥が痛むのをこらえながら、水を一口だけ口に含んだ。
「さっきのちょび髭のおじさまは……」
「ああ、クリオ殿ですな。酒場のマスターでございます」
「そうでしたか。見苦しいところを見せてしまいました」
「あまりお気になさらずに。きっと旅の疲れが出たのでしょう」
「マインラートさんは優しいのね」
「いえ、そんな……」
恥ずかしそうに顔をそむけたマインラートさんに対し、私はずっと気になっていた本題をぶつけた。
「ところで彼のおっしゃっていたことは本当なのでしょうか?」
言うまでもなくジェイ様のことだ。
マインラートさんは静かに首を横に振った。
「わしもつい先日まで世間様とは隔離された場所におりましてね。よく分からんのです」
「そうですか……」
重い沈黙が流れる。
しかしそれを破ったのは意外な人物だった。
「やいっ! 姉さん! 目を覚ましたなら早く支度しろよな!」
弟のヘンリーだ。
彼はドアの外で腕を組みながら私をにらみつけている。
「支度? なんの?」
私が目を丸くして問いかけると、ヘンリーは顔をそむけながら答えた。
「酒場だよ。ジェイのことを聞きに行くに決まってるだろ!」
「え……?」
思わず言葉を失ってしまったのも無理はない。
だってジェイ様のことが気になって仕方ないというヘンリーの気持ちが、ありありと見てとれるのだから……。
「か、勘違いするなよな! 姉さんがショックでまた倒れたら爺さん一人でここまで運べないだろうから、仕方なくついていくだけだ!」
私とマインラートさんは目を見合わせる。
二人でくすりと笑った。
「な、なにがおかしいんだよ! もたもたしてると置いていくぞ!」
そこで私はベッドからひょいっと飛び出し、語調を強めてマインラートさんへ言ったのだった。
「ではその酒場に連れていってください!」
………
……
町の入り口からすぐのところ。
こじんまりとした建物の前でマインラートさんが足を止めた。
「ここでございます」
確かに「Bar」と書かれた看板がある。でも言われなければ絶対に気づかなかったに違いない。それくらいにひっそりとしていた。
「では行きましょう」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた後、古びた木の扉を開けた。
――カラン、カラン。
来客を報せる鐘の音がこだました。
店内は薄暗い。
それにとても静か。客が誰もいないからかしら。
そして店内の奥にあるバーカウンターには、先ほど見たクリオさんの姿があった。
「いらっしゃいませ。新しいご領主様」
おしゃれなカフェには何度も入ったことがあるけれど酒場は初めてだ。
どうしていいか分からずに戸惑っていると、ヘンリーがぐいっと私の手を引っ張った。
「こんなところで突っ立ってないで奥へ行かなきゃ!」
「え、あ、うん」
私たち三人はクリオさんに向き合うようにしてカウンターの席に座った。
「何か飲みますか?」
「いえ、結構です。それより……」
「ええ、分かっておりますよ。では、私の知っていることをお話しいたしましょう」
そう切り出したクリオさんは淡々とした口調で続けた。
「ジェイ様には、事前にリーム王国と通じ、ジュスティーノ殿下を亡き者にしようとした疑いがかけられているのですよ」
ガツンと頭を叩かれたかのような衝撃。
でも今度はちゃんと最後まで聞かなくちゃ。
再び意識が飛んでしまいそうになるのをこらえる。
「……もちろんそんな話、誰も信じちゃいませんよ。でも王宮内ではジェイ様を黒幕に仕立てようとする動きは確かにあるようです」
「へんっ! ジェイがそんな姑息な真似をする訳ないだろ!」
私の代わりにヘンリーが口を尖らせる。
クリオさんは口元をかすかに緩めた。
「ここだけの話なのですが、有力貴族であるトイ家のご息女、アンナ・トイ少将を軍の参謀にするために、ジェイ大佐は引きずり降ろされたんじゃないかと」
クリオさんの言葉にマインラートさんが目を光らせた。
「ついに軍にも権力争いが広がってきた、というわけですな」
「へんっ! 腐ってやがるな!」
ヘンリーが顔を真っ赤にして悪態をついた。
でも気持ちは分からないでもない。
私だって許されるならそうしたいもの。
けど話はまだ終わらなかった。
クリオさんは冷静な口調でさらに驚くべきことを告げてきたのだ。
「そもそも今回のことはリアーヌ様の御父上、オーウェン卿をはじめとして、議会で意見が強くなってきた貴族たちを一掃するための陰謀という説が濃厚と、もっぱらの噂です」
「な、な……に……!?」
ヘンリーが大きく口を開けて固まっている。
私も同じようなもので、声を出すことすらできなかった。
しかしマインラートさんだけは冷静だった。
「クリオ殿。もう一人、狙われた人物がいるのでは?」
マインラートさんの含みのある問いかけに、クリオさんは小さな笑みを浮かべた。
「ええ。それは……。ジュスティーノ殿下」
「うそっ!!?」
思わず椅子から身を乗り出してしまった。
まさかジュスティーノ殿下の命まで狙われているだなんて……。
もしそれが本当ならば、貴族だけではなく皇族が確実にからんでいることになる。
となれば自然と事件に関与している人物は限られる……。
第一皇子のヴィクトール殿下か、第二皇子のパオリーノ殿下。
この二人のうちのいずれか、それとも両方か……。
いずれにしてもヴァイス帝国は今、国を揺るがしかねない陰謀が王宮内に渦巻いているとしか言いようがない。
……と考えを巡らせたところで、マインラートさんが横から口を挟んできた。
「リアーヌ様。この話はそろそろおしまいにいたしましょう。どこで誰が聞いているとも限りません。余計なことを知れば、ご自身のお立場がより悪くなるだけです」
有無を言わさぬ口調。
クリオさんが開きかけた口を閉じた。
「え、ええ。そうですね。クリオさん、ありがとうございました」
「いえ。ではこれからよろしくお願いします」
私たちは酒場を後にした。
暗がりの中をマインラートさんが手にしたランプの灯りを頼りに帰路についた。
(いったい誰が何のために……?)
皇族と貴族の対立。
帝国軍の中での権力争い。
そして皇族内での内輪揉め……。
これまで他人事だった『大人の闇』を見た気がした。
そこから黒い手が伸びてきて、私の足首をつかもうとしているのではないか……。
そんな疑念と恐怖にかられる。
自然と顔がうつむき、足取りが重くなっていく。
するとマインラートさんが力強い口調で言葉をかけてくれた。
「リアーヌ様。あまり深く考えてはなりませんぞ。ヘイスターの領主として領民たちのために毎日を全力で過ごすこと。それだけに集中してくだされ」
ぱんと頬を張られたかのような言葉に、はっと顔が上がる。
その通りだ。
王宮内で何が起こっていようとも、今の私はヘイスターの領主。
だから私が考えなくてはならないのは目の前で暮らす領民たちのことだ。
「え、あ、そうですね! ありがとうございます!」
ふと空を見上げると、無数の星がまたたいている。
「すごく綺麗……」
感嘆が口をついて出てくる。
心を覆いつくしていた黒い雲が晴れていく。
「私もあの星のように生きたい」
そう心に誓ったのだった
……
――大丈夫かい?
一年以上たった今でも鮮明に覚えている。
ジェイ様の声。そして瞳と微笑み。
あんなに優しい御方が重い罪をおかすわけがない。
(きっと何かの間違いよ! 間違いであって!)
そう念じているうちに、私は意識を取り戻した。
あたりはすっかり暗くなっている。
どうやら私は寝室へ運ばれたらしく、大きなベッドの真ん中で寝かされていた。
「お目覚めですか?」
マインラートさんが水の入ったコップを差し出してきた。きっと私のことをずっと見守ってくれていたのだろう。
律儀な彼の姿につんと鼻の奥が痛むのをこらえながら、水を一口だけ口に含んだ。
「さっきのちょび髭のおじさまは……」
「ああ、クリオ殿ですな。酒場のマスターでございます」
「そうでしたか。見苦しいところを見せてしまいました」
「あまりお気になさらずに。きっと旅の疲れが出たのでしょう」
「マインラートさんは優しいのね」
「いえ、そんな……」
恥ずかしそうに顔をそむけたマインラートさんに対し、私はずっと気になっていた本題をぶつけた。
「ところで彼のおっしゃっていたことは本当なのでしょうか?」
言うまでもなくジェイ様のことだ。
マインラートさんは静かに首を横に振った。
「わしもつい先日まで世間様とは隔離された場所におりましてね。よく分からんのです」
「そうですか……」
重い沈黙が流れる。
しかしそれを破ったのは意外な人物だった。
「やいっ! 姉さん! 目を覚ましたなら早く支度しろよな!」
弟のヘンリーだ。
彼はドアの外で腕を組みながら私をにらみつけている。
「支度? なんの?」
私が目を丸くして問いかけると、ヘンリーは顔をそむけながら答えた。
「酒場だよ。ジェイのことを聞きに行くに決まってるだろ!」
「え……?」
思わず言葉を失ってしまったのも無理はない。
だってジェイ様のことが気になって仕方ないというヘンリーの気持ちが、ありありと見てとれるのだから……。
「か、勘違いするなよな! 姉さんがショックでまた倒れたら爺さん一人でここまで運べないだろうから、仕方なくついていくだけだ!」
私とマインラートさんは目を見合わせる。
二人でくすりと笑った。
「な、なにがおかしいんだよ! もたもたしてると置いていくぞ!」
そこで私はベッドからひょいっと飛び出し、語調を強めてマインラートさんへ言ったのだった。
「ではその酒場に連れていってください!」
………
……
町の入り口からすぐのところ。
こじんまりとした建物の前でマインラートさんが足を止めた。
「ここでございます」
確かに「Bar」と書かれた看板がある。でも言われなければ絶対に気づかなかったに違いない。それくらいにひっそりとしていた。
「では行きましょう」
自分に言い聞かせるようにつぶやいた後、古びた木の扉を開けた。
――カラン、カラン。
来客を報せる鐘の音がこだました。
店内は薄暗い。
それにとても静か。客が誰もいないからかしら。
そして店内の奥にあるバーカウンターには、先ほど見たクリオさんの姿があった。
「いらっしゃいませ。新しいご領主様」
おしゃれなカフェには何度も入ったことがあるけれど酒場は初めてだ。
どうしていいか分からずに戸惑っていると、ヘンリーがぐいっと私の手を引っ張った。
「こんなところで突っ立ってないで奥へ行かなきゃ!」
「え、あ、うん」
私たち三人はクリオさんに向き合うようにしてカウンターの席に座った。
「何か飲みますか?」
「いえ、結構です。それより……」
「ええ、分かっておりますよ。では、私の知っていることをお話しいたしましょう」
そう切り出したクリオさんは淡々とした口調で続けた。
「ジェイ様には、事前にリーム王国と通じ、ジュスティーノ殿下を亡き者にしようとした疑いがかけられているのですよ」
ガツンと頭を叩かれたかのような衝撃。
でも今度はちゃんと最後まで聞かなくちゃ。
再び意識が飛んでしまいそうになるのをこらえる。
「……もちろんそんな話、誰も信じちゃいませんよ。でも王宮内ではジェイ様を黒幕に仕立てようとする動きは確かにあるようです」
「へんっ! ジェイがそんな姑息な真似をする訳ないだろ!」
私の代わりにヘンリーが口を尖らせる。
クリオさんは口元をかすかに緩めた。
「ここだけの話なのですが、有力貴族であるトイ家のご息女、アンナ・トイ少将を軍の参謀にするために、ジェイ大佐は引きずり降ろされたんじゃないかと」
クリオさんの言葉にマインラートさんが目を光らせた。
「ついに軍にも権力争いが広がってきた、というわけですな」
「へんっ! 腐ってやがるな!」
ヘンリーが顔を真っ赤にして悪態をついた。
でも気持ちは分からないでもない。
私だって許されるならそうしたいもの。
けど話はまだ終わらなかった。
クリオさんは冷静な口調でさらに驚くべきことを告げてきたのだ。
「そもそも今回のことはリアーヌ様の御父上、オーウェン卿をはじめとして、議会で意見が強くなってきた貴族たちを一掃するための陰謀という説が濃厚と、もっぱらの噂です」
「な、な……に……!?」
ヘンリーが大きく口を開けて固まっている。
私も同じようなもので、声を出すことすらできなかった。
しかしマインラートさんだけは冷静だった。
「クリオ殿。もう一人、狙われた人物がいるのでは?」
マインラートさんの含みのある問いかけに、クリオさんは小さな笑みを浮かべた。
「ええ。それは……。ジュスティーノ殿下」
「うそっ!!?」
思わず椅子から身を乗り出してしまった。
まさかジュスティーノ殿下の命まで狙われているだなんて……。
もしそれが本当ならば、貴族だけではなく皇族が確実にからんでいることになる。
となれば自然と事件に関与している人物は限られる……。
第一皇子のヴィクトール殿下か、第二皇子のパオリーノ殿下。
この二人のうちのいずれか、それとも両方か……。
いずれにしてもヴァイス帝国は今、国を揺るがしかねない陰謀が王宮内に渦巻いているとしか言いようがない。
……と考えを巡らせたところで、マインラートさんが横から口を挟んできた。
「リアーヌ様。この話はそろそろおしまいにいたしましょう。どこで誰が聞いているとも限りません。余計なことを知れば、ご自身のお立場がより悪くなるだけです」
有無を言わさぬ口調。
クリオさんが開きかけた口を閉じた。
「え、ええ。そうですね。クリオさん、ありがとうございました」
「いえ。ではこれからよろしくお願いします」
私たちは酒場を後にした。
暗がりの中をマインラートさんが手にしたランプの灯りを頼りに帰路についた。
(いったい誰が何のために……?)
皇族と貴族の対立。
帝国軍の中での権力争い。
そして皇族内での内輪揉め……。
これまで他人事だった『大人の闇』を見た気がした。
そこから黒い手が伸びてきて、私の足首をつかもうとしているのではないか……。
そんな疑念と恐怖にかられる。
自然と顔がうつむき、足取りが重くなっていく。
するとマインラートさんが力強い口調で言葉をかけてくれた。
「リアーヌ様。あまり深く考えてはなりませんぞ。ヘイスターの領主として領民たちのために毎日を全力で過ごすこと。それだけに集中してくだされ」
ぱんと頬を張られたかのような言葉に、はっと顔が上がる。
その通りだ。
王宮内で何が起こっていようとも、今の私はヘイスターの領主。
だから私が考えなくてはならないのは目の前で暮らす領民たちのことだ。
「え、あ、そうですね! ありがとうございます!」
ふと空を見上げると、無数の星がまたたいている。
「すごく綺麗……」
感嘆が口をついて出てくる。
心を覆いつくしていた黒い雲が晴れていく。
「私もあの星のように生きたい」
そう心に誓ったのだった