それなら私が女王になります! ~辺境に飛ばされた貴族令嬢は3回のキスで奇跡を起こす~
大股でジェイ様のすぐそばまでやってきたところで、あらためて彼を見つめる。
そして彼の瞳を見た瞬間に、ぞくっと背筋に悪寒が走った。
(なんて冷たくて、濁った瞳なの……)
かつて私がどうしようもなくときめいていた瞳とは大きく異なっていた。
酒場でクリオさんが言っていた通りだ。
――ジェイ様は苦しんでおられます。わずか数年間で恋人のクローディア殿下だけではなく、地位も名誉も失ったのですから……。輝きを失い、固い氷で閉ざされているように見受けられました
想像を絶する苦しみと悲しみを抱えているに違いない。
あまりに痛々しい姿に、思わず涙がこみ上げてくる。
私はそれを必死に抑えて声を張り上げた。
「リーム王国から宣戦布告の通達があってから早17日。しかし帝都からは救援がございません! このままではこの町は敵に蹂躙され、多くの民が犠牲となるでしょう! どうかお願いします! 私たちをお助け下さい!」
ジェイ様は淡々とした口調で返してきた。
「いくら頼まれても、無理なものは無理だ。それにお嬢さん。あんた、本当は自分の命が助かりたいだけなんじゃないか? 敵国が攻めてくると分かっていれば、領民たちはみな他の村へ避難しているだろう?」
(違う……。そんなんじゃないのに……)
でもここで反論すれば、余計にかたくなにさせてしまう。
私は言いたいことをこらえて唇をかみしめた。
するとジェイ様は畳み込むように続けた。
「帝国が『援軍は不要』と決めたなら、それに従うのが国民としての義務だろう。それを犯してまでして、手助けをしなくてはならない義理などない! 帰れ!」
ドンと突き飛ばすかのような強い口調。
もう俺のことは放っておいてくれ、という固い意志を感じる。
でも……。
「……私はあきらめない……。私は絶対に『希望』を捨てない。『現実』に変わるまでは……」
身勝手だと思われても、恨まれてもかまわない。
私には救わなくてはいけない領民たち、弟に執事もいる。
そしてジェイ様なら彼らを救える。
彼には『希望』を『現実』に変える力がある。
私はそう信じているのだ。
「その言葉……。いったい誰から……? まあ、そんなことどうでもいい。その希望とやらは、俺以外の人に向けるんだな。いくら頼んでも無駄だ! 早く帰れ!」
ジェイ様は語調だけでなく視線も鋭くした。
さながら威嚇する獅子のようだ。
正直言って、すごく怖い。その証拠に膝ががくがくと笑っている。
でも……。
でも、絶対に引かない!
あきらめてたまるもんですか!
「いえ、私は絶対にあきらめません! この町の民は、町から出ることを固く禁じられているのです! 元よりヴァイス帝国とリーム王国のどちらの人間か分かりませんから! それにみな故郷を追われて、行くあてもない哀れな者ばかり! たとえ町から出ることを許されても、どこにも彼らを受け入れてくれる町などないのです! そんな彼らを見捨てるおつもりですか! 『彗星の無双軍師』と称えられ、この国の英雄であるあなたが!」
ジェイ様の表情がさらに険しくなる。
そして猛獣の咆哮のような声を轟かせた。
「うるさい!! あんたに何が分かるんだ!! 俺は英雄なんかじゃない! 単なる『罪人』なんだ!! 皇子殺害を企てた『罪人』なんだ! だから俺に構うな!」
手負いの獅子ほど強く吠える、そうパパから聞かされたことがある。
ジェイ様は苦しんでいる。再び星となって人々を導くことを怖がっている。
それは『罪人』という言葉をことさら強調したことからも明らかだ。
私は彼に負けないくらいに大きな声をあげた。
「行き場を失った民が、むごたらしく死んでいくのを、あなたが見過ごすはずない! 私はそう信じております!」
ジェイ様がふっと顔を横にそらした。
かすかに浮かぶ悲しげな影。
「知ったことか! 俺は俺の望むままに生きたいんだ!」
再び三日月が雲に隠れる。
部屋を覆う漆黒は、ジェイ様の心の中を表しているようだ。
私は心を落ち着かせるために目をつむった。
すると浮かんできたのはクローディア様の姿だった。
柔らかな長い髪をなびかせ、白いドレスが眩しい。
――リアーヌ。彼を助けてあげて。
切ない懇願は私が勝手に作り出した願望なのか、それとも本当にクローディア様自身なのか分からない。
でもやることはいずれにしてもたった一つだ。
(あきらめない! 希望を現実に変える! どんなことをしてでも!!)
私はかっと目を見開いた。
「では何がお望みなのでしょう!? 私にできることならなんでもいたします! だから町を救ってください! お願いします!!」
「望みはただ一つ! 早くここから消えろ! それだけだ! もうあんたもこの町も見捨てられたんだよ! 潔く諦めろ!」
「いえ、絶対に諦めません! かつて『彗星の無双軍師』がそうであったように! 民が笑顔で暮らせる日がくるまで……。だから私は……」
感情が爆発し、涙となってあふれ出してきた。
負けない!
絶対に負けたくない!
だから……。
「立ち向かってみせる! 『奇跡』を起こすために!!」
――ねえ、知ってる? 『彗星の王子様と3つの奇跡』というおとぎ話では王子様のキスで奇跡が起こるのよ。
ふとよぎるクローディア様の言葉。
そして次の瞬間には体が勝手に動き出していた。
――ダンッ!
強く床を蹴る。
「なっ……!?」
ジェイ様はとっさに動けず、しりもちをついた。
彼の驚く顔が大きくなる。
それでも私は止まらない。
そしてついに……。
「んぬっ!?」
私の口は彼の口をふさいだ。
柔らかな感触に、ふっと力が抜けていく。
これが私と彼の最初のキス。
彼とヘイスターの領民たちに『奇跡』を起こすキスだった――。