それなら私が女王になります! ~辺境に飛ばされた貴族令嬢は3回のキスで奇跡を起こす~
◇◇

 もうすぐ年の瀬という冬のある日。
 私とジェイの二人っきりの旅が始まった。
 途中、ティリウムという町で一泊して帝都に入ることになっている。
 ジェイは馬を操るために前方へ、一方の私はジェイの背後の荷台に乗り込んだ。
 元は行商用に作られたものだから、乗り心地はよくないけど文句なんて言えない。
 歩いて旅をするのに比べたら天と地くらいに差があるからだ。
 しかし私は馬車の旅を甘くみすぎていた。
 
――ガタッ!

「うわあっ!」

「危ないからしっかりつかまって!」

「は、はい!」

 とにかく揺れる。
 しかも大きく……。
 馬車の縁にしがみつくのがやっとで、おしゃべりにうつつを抜かすなんて余裕はまったくない。
 そして夕方になってようやく馬車から解放された。
 つまり目的地のティリウムに到着したのだった。
 
………
……

 今夜の宿に荷物を置き終えた後、どっと疲れが出てしまった私は宿のロビーにあるソファでぐったりしていた。
 
(もっと楽しい旅になるはずだったのになぁ……)

 そんなことを考えながらぼーっとしていると、ジェイが私の顔を覗き込んできた。
 
「わああっ!」

「はは。そんなに驚かなくてもいいだろう?」
 
「きゅ、急に顔を近づけてくるからです!」

「だって何度呼びかけても返事をしてくれなかったんだから……」

「え、そうだったの……。ごめんなさい」

「いや、いいんだ。それよりこれから一緒に夕食を食べにいかないか?」

「へっ!?」

(それってもしかしてディナーのお誘い? これってデート!?)

 疲れが一気に吹き飛ぶ。
 でも私がすぐに返事をしなかったものだから、ジェイはちょっとだけ残念そうに言った。
 
「それともここで少し休んでいるかい? とても疲れてそうだから」

 私はすくっと立ち上がって。腕をぶんぶんと振り回した。
 
「私は元気です! こう見えてもまだ若いんですから! あははは」

 わざとらしい笑いにも、ジェイは気にする素振りも見せずにニコリと微笑んでくれた。

「そうか、それはよかった」

「だから行きましょう! ご飯を食べに!!」

「ああ、そうしよう」

(やったぁ!!)

 私はぴょんと跳ねると、スキップしながら宿のドアに向かった。
 そして目を丸くしているジェイに弾むような声で言ったのだった。
 
「早く行きましょ! ぼけっとしてるなんて、もったいないわ!」

………
……

 ティリウムの町はとても栄えている。
 ちょうどヴァイス帝国の中央に位置しており、東西と南北を通る街道の中心にあるからなのかもしれない。
 多くの行商人たちがこの町を経由して他の町へ旅立つ。
 だから町は人と物であふれかえっているというわけね。
 ヘイスターには一件しかない食事処もこの町にはたくさんある。
 その中でも落ち着いたお店をジェイが選んでくれた。
 
「うわぁ……」

 店内の灯りは薄暗く、なんだかとっても大人の雰囲気。
 耳障りのよい音楽は生演奏だ。
 
「少し値は張るが、戦勝祝いということなら罰は当たるまい」

 私たちは通された席に向かい合うようにして座った。

「お酒は飲めるかい?」

「え、あ、す、少しなら」

「なら乾杯はワインにしよう」

「は、はい!」


 ワインなんて外で飲んだの初めて!
 ……というよりもお酒をほとんど飲んだことがない。
 まだ王宮で暮していた頃に一度だけテーブルマナーを学ぶためにパパに飲まされたことくらいかしら……。
 なぜかあの時の記憶がまったくないのよね……。
 
「じゃあ、乾杯しよう」

 ジェイに促されるままに、右手にワイングラスを持つ。
 透き通った赤の液体がわずかに波を立てた。
 
――チン。

 軽くて高い音が頭の奥まで響いた。
 くいっとワインを一口だけ口に含むと、適度な酸味と苦みが私をさらに幸せな気分にいざなった。
 
(まるで夢の中にいるみたいだわ)

 その後も美味しいお料理と楽しいおしゃべりに時間がたつのも忘れてしまった。
 つい一ヶ月前までは絶望の淵に立たされていたとは思えない。
 
(きっとクローディア様がこうなるように導いてくださったんだわ。ありがとうございます)

 私はデザートを口にしながら心の中で感謝していた。
 するとジェイがそれまでとは違って、少しだけ重い雰囲気で声をかけてきた。
 
「リアーヌのご両親様はご無事なのかい?」

「え?」

「いや……。風の噂で。オーウェン卿は帝国から追放されたと聞いたので」

「はい……。何度か手紙を受け取りました。元気にやっているようです」

「ごめん。嫌なことを思い出させてしまって。しかし帝都に入る前に知っておきたいんだ。本当のことを」

「本当のこと?」

 私の問いにジェイは表情を引き締めた。
 これまでの綿毛のような柔らかな雰囲気が、一気に固くなる。
 まるで戦場で見た時のようだ……。
 私はごくりと唾を飲み込む。
 ジェイは一層声の調子を落とした。
 
「オーウェン卿がジュスティーノ殿下を罠にはめたのかい?」

 心臓を貫くような痛みが走る。
 私は思わず声を荒げた。
 
「そんなはずありません!!」

 バンと強くテーブルを叩いて立ち上がる。
 ピタリと演奏が止まり、周囲の客が一斉に私を見てきた。
 私は小さくなって、椅子に座った。
 するとジェイが申し訳なさそうに頭を下げてきた。
 
「すまん。疑うような真似をして」

「いえ……。でも、どうして?」

 ジェイはワイングラスを手に取ると、ぐいっと全て飲み干した。
 同時に心地よい演奏が再び始まる。
 その調べに合わせるようにジェイは静かな口調で言った。
 
「ブルジェ家とトイ家は昔から功を競うライバルだったそうだね」

「え? そうなんですか?」

「今でこそトイ家は大富豪のベルナール家と並ぶ『二大名家』のうちの一つだが、昔はブルジェ家の方が格が高かった。リアーヌのひいひいおじい様の頃くらいかな」

「へえ……。そうだったの……。ごめんなさい。私、そういうことに疎くて」

「いや、いいんだ。そのトイ家の次期当主はアンナ・トイ。年齢は23歳。名前くらいは聞いたことがあるかな?」

「あっ!」

 その名前には聞き覚えがある。
 
――ここだけの話なのですが、有力貴族であるトイ家のご息女、アンナ・トイ少将を軍の参謀にするために、ジェイ大佐は引きずり降ろされたんじゃないかと。

 酒場のマスター、クリオさんがそう教えてくれた。
 そして、これでバラバラだった糸が一本につながったことに気づいた。
 つまり私たち家族が帝都から追い出されたことと、ジェイが牢獄に入れられたこと……。
 この二つが『アンナ・トイ』という名前でつながったのだ――。
 しかし、ジェイの話はまだ終わらなかった。
 
「アンナは元は俺の部下だった」

「まあ、そうだったの!」

「ああ。確かに優秀な人物だったさ。見た目も美しくて華がある」

「……ふーん」

「しかし参謀にするには危うい部分もあった。負けず嫌いで、勝気、こうと決めたらやり抜く強さをそなえていたんだ。一見すると美徳だが、戦場では度が過ぎると兵を殺し、軍を敗北に導きかねない」

「だからジェイは反対してたのね。彼女が参謀になるのを」

「ああ。軍の参謀は複数人いてもいいという決まりになっている。だから俺が彼女を推薦すれば、彼女は俺と同じように参謀になれただろう。しかし俺は首を縦に振らなかった」

「そこでジェイを失脚させて空位となったところを狙おうとした、そういうこと?」

 ジェイは小さな笑みを浮かべた。
 そこには悲哀の色が浮かんでいる。
 彼は続けた。
 
「彼女と違って爵位もない農民の出だが、軍ではそれなりの地位にいたからな。そう簡単には俺を牢獄に入れるなんてできないさ」

「……もしかしてジュスティーノ殿下がジェイのことを恨んでいたとか?」

「その噂はあちこちで立っているようだ。自身の不遇を嘆くジュスティーノ殿下が、俺のことを呪詛しているらしい。つまり彼は『自分を罠にはめたのは、ジェイ・ターナーである』と思い込んでいるわけだ。しかし殿下はあの一件以降、公の場には姿を現していない。つまり政治と軍事のどちらにも口を挟めるような立場じゃないってことさ」

「ならばいったい誰が……」

 ジェイがぐっと身を乗り出してくる。
 顔がくっつきそうになるくらい近づくと、私の耳からあらゆる音が聞こえなくなった。
 そこにジェイのささやく声だけが入ってくる。
 ただそれは驚愕の内容だった。
 
「トイ家は第二皇子のパオリーノ殿下に近づいていたんだ」

「うそ……。でもパオリーノ殿下に何の得があるというの?」

「皇帝の後継者だよ」

「でもそれは第一皇子のヴィクトール殿下に決まっているんじゃないの?」

「帝国の政治は『二大名家』であるトイ家とベルナール家が牛耳っている。このうち一つを取り込めば自然と発言力は大きくなるからね」

「つまりパオリーノ殿下は後継者の座をひっくり返すくらいの権力を得ようとしているってこと?」

「ああ、そしてトイ家は政治だけじゃなくて軍事にも発言力を高めて、ライバルのベルナール家を出し抜きたい」

「そんな……」
 
「第二皇子パオリーノ殿下とアンナ・トイ少将。帝都に入ったら、この二人には注意するんだ。いいね」

 ジェイはそっと私から離れると、何食わぬ顔して食後のコーヒーを楽しみ始めた。
 再び心地よい音楽が耳に入ってくる。
 でも私は衝撃的な言葉にしびれたまま動けないでいた。
 
(第二皇子のパオリーノ殿下と、名家の跡取りアンナ・トイ少将が黒幕なの……?)

 そればかりが何度も何度も頭の中で繰り返されていたのだった。
 
 

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