彼女を10日でオトします
「来なかったのよ、お父さん。お母さんの墓石に」

 たすくさんは、何も言わなかった。口を開く気配すらなく、ただ、私の両目を平等に見つめていた。

「それまでは、幸せだった。
お父さんがお母さんを愛していることを感じていたし、私には、お姉ちゃんも貴兄も、そのおじさん、おばさんもいた。
もちろん、毎晩一緒に寝てくれるお父さんもいた」

 テーブルの上に重ねていた両手の甲に、温かいものが滴り落ちた。

「キョン……もう、いいよ。
辛いこと思い出させちゃって、ごめんな」

 たすくさんは、胸から絞り出したような声で言った。

 私はまた、かぶりを振る。

 一度湧いて出た泉は、止められないのと同じだと思った。
 噴きだした感情の源泉は、熱を保ったまま込み上げてくる。どうにかして吐き出さないと、私の胸が破裂してしまいそう。

 ごめんなさい、と心の中でたすくさんに謝罪した。
 取り返しがつかないことをしている、とも。

 たすくさんは、聞き流して忘れることができない。
 私の悲しみ、苦しみを受け止めて、その全てを頭の中にしまわなければいけない。

 私はなんて身勝手なの。
 それでも私は止まらない。

 口をつぐんでいるこの少しの間でさえ、辛くてパンクしてしまいそう。

 やっぱり、見透かされてる。たすくさんの表情が変わった。

「キョン、俺、言ったじゃん。
『キョンを苦しみの国から解放してあげる』って約束したじゃん」

 たすくさんは、そう言って、なんてことないよって顔でにこりと笑った。

「だいじょーぶ」

 たすくさんの手のひらが、涙で冷えた頬を拭う。

 あたたかい……。

「思い切って俺に甘えてみなって。
俺ってさ、意外と頼れる男なんだぜい」

 敵わない。たぶん、この人には、どんなことがあっても敵わない。
 そう感じた私は、不思議と悔しさは湧いてこなかった。 
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