格上上司は初恋の味をまだ知らない。


「落ち着いたか?」

「私は初めから落ち着いてます。」




部長の腕から解放されるとやっと''いつもの私''が戻ってきた。ドキドキしたり、焦ったりするのは性に合わせない。

「座ってて」と続ける彼に今度は素直に従ってみることにする。そうすると暫くして出来立ての味噌汁と、卵焼き、納豆、ご飯といった朝食セットがテーブルに並べられた。


え?待って?私の意識が飛んでる間にご飯作ってくれてたってこと?




「部長、すみません私…手伝いもしないで。」

「んー…じゃあ、今度は
沢渡の手料理楽しみにしてるな。」

「え?……今度なんてありませんから。」




もう分かってしまった。この人は少しの隙でもあれば遠慮なしにつけ込んでくる。きっと本気でーーー私を惚れさせようとしているんだ。

睨む私に「厳しいな」と肩を竦める部長。会社にいる時よりも柔らかく笑う姿にドキッと胸が跳ねる。

駄目だ……この人は危ない。体も心も、気が付いた時には奪われていそう。









「本当にもう帰るのか?」

「もうって、もう夕方ですよ?
そろそろ帰らないと。」




ご飯を食べて洗面所を借りて、コーヒーを飲んで…気が付いたら16時を回っていた。明日も休みだけど流石にのんびりし過ぎてしまった。

「もう少しいいだろ」と言う部長の言葉に負けて腰を落ち着けてしまった結果だ。




「では、また会社で。」

「沢渡。」




背中を向けた途端に、腕を掴んで引き寄せる部長。

驚きを隠せないまま至近距離で目が合い、色気を帯びたその虚ろな目に絡め取られるようにしてピタリと動きが止まる。




「……ん、」

「!」




ふにゅん、と触れるだけのキス。


少しの熱を唇に残して「気を付けて」と言うと、部長は私からパッと手を離した。
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