格上上司は初恋の味をまだ知らない。


仕事に集中してしまえばあっという間に時間は過ぎていって、本日も相変わらず残業。

今夜は社員旅行の便の見直しと参加者の確認だ。

やっと後輩ができて下っ端から抜け出したものの、社員旅行の宿取りなんて入社したての後輩に任せられる内容ではない。

という事で結局任されるのは私なのだ。


キーボードを叩きながら少しずつ居なくなる人影に数週間前の出来事を思い出していた。


いつ思い出したって滅茶苦茶な記憶。


乱暴だし自分勝手で俺様で、''本物の部長''に私の憧れだった姿は少しも残っていない。

大嫌いな筈なのに、仕事を熟す彼の姿勢は変わらず冷淡に感じられる程に鋭い。勿論、部長なのだから仕事を片付けるスピードも経験値も桁違いだ。

今でも毎日改めて凄いなと思わせられる。

不思議なのは、部長にファーストキスを奪われた時には相当気持ちも体も乱されたのに白川君にキスをされた時には1ミリたりとも心が動かなかったこと。




ガチャッ…

「!」

「沢渡さん…?
遅くまでお疲れ様です。」

「あ…お疲れ様です。」




2回目だ。オフィスで2人きりになるのは。


パサ…とコートを置く音が響く。椅子を引いた彼はあくまで仕事をするために戻った様子でパソコンを起動させる。まあ、それが普通なんだけど…。

って、こんなんじゃ部長に''何か''されるのを待ってるみたいじゃん!いやいやおかしい。きっと疲れで頭が回らないんだな。うんそうだ。

コーヒーでも淹れよう。たっぷりの牛乳と角砂糖を1つ入れて。糖分を取ればまた普通に戻る筈だから。


部長の横を通り過ぎて良い香りの立ち込める給湯室に入る。最後に誰かが淹れて帰ったのだろう。2つマグカップを取り出して温めてから注ぐ。


乳白色のコーヒーを机に置いた時、意外と部長は間抜けな顔をしていた。

すぐに仮面を貼り付けた様な笑顔に変わる。




「ありがとうございます。」




今まで''この部長''が好きだった。なのにその姿がこんなにも嫌に感じる時が来るなんて。




「部長、何かありました?」




気が付いた時には彼を見下ろしたまま声をかけていた。


どうせこの人のことだから「君には関係ありません」とか「何でしょうね」なんて突き放す言葉を使うんだ。そう思い切っていた。

だから彼がにこりと笑顔を見せても何とも思わなかった。




「何かじゃねえよ。お前のせいだよ馬鹿が。」




暴言が飛び出すまでは。
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