私と結婚しませんか
#06 女
第六話『女』


◯蒼マンション、洗面所(朝)

   蒼、顔を洗う。

蒼M「休日、いつもなら二度寝しているであろうこの時間。わたしの脳内は、完全に、恋する乙女状態だった。
 乙女などという単語が似合わないと承知の上で敢えて使いたい。
 自分でも呆れるくらい浮かれているから。
 これもぜんぶ――あの男のせいだ」


◯(回想)セダン(黒)、車内

蒼M「あれから、公園を出たあと――」

蒼「やっぱりうちに帰ります」
桂「逃げるおつもりですか?」
蒼「……ちがいます。ちゃんとしたいんです」
桂「と、いいますと」
蒼「今のわたしは、あまりにも女子力がないので。その。日を改めて、会いませんか」

蒼M「わたしは、桂さんに抱かれる覚悟ができていなかったのだ」

蒼(キスだけで死ぬほどドキドキしたのに…………無理すぎる)

   蒼、戸惑う。
   桂、はにかむ。

桂「せっかく吉岡さんを美味しくいただこうと考えていたのに。生殺しですか」
蒼「……っ、言い方がイヤです」
桂「私は今の貴女も十分に魅力的だと思いますが――そうですね。ここはひとつ、焦らされてみましょう」

(回想終わり)


◯ヘアサロン

蒼M「というわけで、今日は、とことん自分磨きをすることにした」

   蒼、鏡の前に座る。

美容師「今日は、どうされます?」
蒼「毛先五センチくらい切って全体的に整えてもらえますか。あと、トリートメントも」

蒼M「女を捨てていたわたしが、女に戻ろうとしている」


◯ショッピングモール、化粧品売り場

   蒼、チークを手に取る。

蒼(この色可愛い……買っちゃおう)


◯同、アパレルショップ

   蒼、マネキンを見る。

蒼(この服いいな)


◯同、ランジェリー売り場

蒼(桂さんってどういうのが好きなんだろう。ヘンタイだからなあ……案外セクシーなのよりキュートなのに喜んだりして)


◯駅構内、改札付近(夕方)

   蒼、両手いっぱいに紙袋を持つ。

蒼M「買いすぎた!!」

蒼(とびきりお洒落して、桂さんをビックリさせてやるとはいえ。一回のデートにこんなにいらんだろうが。何泊するつもりだよ)

木崎「吉岡」
蒼「?」

   蒼、振り返る。

蒼「木崎くん……!」
木崎「よ」


◯同、カフェ(夕方)

   蒼と木崎、カウンターテーブルに並んで座る。

木崎「また会ったな」
蒼「世間は狭いね」
木崎「すげえ荷物」
蒼「あー、ちょっとね」
木崎「臨時収入でも入った?」
蒼「そんなんじゃないよ。木崎くんはなにしてたの?」
木崎「野暮用」
蒼「お仕事?」
木崎「サイン本作ってまわってるんだ」
蒼「えっ、もうすぐ発売される新刊の?」

 木崎、目を見開く。

木崎「……なんで知ってんの」
蒼「そりゃあ知ってるよ。だってわたし、大崎先生の大ファンだもん」


◯(回想)駅、ホーム(夜)

   T『一年半前』

木崎「ひょっとして、吉岡?」
蒼「……?」
木崎「吉岡蒼だろ。木崎だよ。木崎航」
蒼「木崎……え、木崎くん!?」

蒼M「先輩と別れてからのわたしは、貝殻をなくしたヤドカリみたいだった。
 青春時代の多くを好きな異性と過ごしてきたのもあって、男のいない生活に意義を見出せないでいたのだ。
 そんなときに偶然駅のホームで出会ったのが、元クラスメイトの木崎くんだった」

木崎「全然変わってねえから、すぐわかった」

蒼M「この日、わたしに大きな転機が訪れた」

   ホームに電車がくる。

木崎「乗んの?」
蒼「うん」
木崎「俺も」


◯(回想)電車内(夜)

   蒼と木崎、出入り口付近に立ちつり革を持つ。

蒼M「特段親しかったわけでもないわたし達は、再会を懐かしみ会話が弾むようなこともなければ、お互いになにを聞くわけでもなく、ただ静かに電車が目的地に到着するのを待っていた。
 すると、木崎くんが突然口を開いたんだ」

木崎「なあ、吉岡」
蒼「ん?」
木崎「俺が書いた」
蒼「え?」
木崎「だから、あれ」

   木崎、車内広告を指さす。

蒼「ええ? 木崎くんが?」
木崎「ん」

蒼M「驚いて、言葉が出なかった。
  なにせ十年ぶりに会った地元の知り合いが小説家になっていたのだから。
 彼の名は、木崎航。ペンネームは大崎航。
 そんなに寄せるなら本名でいいのではと感じたが、たった一文字漢字が違うだけで大崎航が木崎くんだと気づけなかったのを考えるとペンネームの効果は発揮されている。
 木崎くんはサッカー好きなスポーツ万能のモテ男子だった」

木崎「じゃ、俺ここで降りるわ」
蒼「……うん。バイバイ」

   木崎、電車から降りていく。
   蒼、携帯を取り出す。

   (携帯の画面)
   『検索:大崎航』

蒼M「さっそく大崎航についてインターネットで調べたわたしは、更に度肝を抜かれることとなる」

蒼(十六歳で作家デビュー!? 映画化決定……!?)

蒼M「わたしの知る木崎くんのイメージとかけ離れていてとても意外だったけど、木崎くんは運動だけでなく勉強もできる生徒だったので納得もできた。
 わたしは、好奇心から木崎くんの本を買って読んでみた。最初は一冊だけという軽い気持ちで手に取ったのだが、時間を忘れて夢中で読みふけることになる」

   ×  ×  ×
   (フラッシュ)
   大学のラウンジ。

   蒼、ソファにかけ読書。

蒼M「講義の合間のラウンジでも」
   ×  ×  ×

   ×  ×  ×
   (フラッシュ)
   電車内。

   蒼、座席にかけ読書。

蒼M「移動中の電車の中でも」
   ×  ×  ×

    ×  ×  ×
   (フラッシュ)
   蒼のマンション。

   蒼、ベッドで読書。

蒼M「バイトから帰ってきたあと、気づけば朝になるまで夢中で読んだ」
   ×  ×  ×

蒼M「わたしは木崎くんの本の虜になったのだ」

(回想終わり)


◯駅構内、カフェ(夕方)

木崎「吉岡が俺の大ファン? 嘘つけ」
蒼「ほんとだって。全部読んだし」
木崎「は? 読むなよ」
蒼「なんでよ。木崎くんから教えてくれたんじゃん。これ俺が書いたって」

   木崎、頬杖をつく。

木崎「(不服そうに)教えたが。読めとはヒトコトも言ってねえし」
蒼「部屋の本棚にズラリと並んでるよ。あんまりミステリー読んだことなかったんだけど、大崎航の作品はコンプリート済み。作品は勿論、あとがきも好きなんだよね」
木崎「(呆れ顔)マニアックなやつめ」
蒼「サイン本かー。わたしも欲しいな。発売日の朝、開店時間に来ればゲットできるかな。それとも並ばなきゃ厳しいと思う?」
木崎「知るか。つーか……目の前に俺いんのに頼まないわけ?」
蒼「え、いいの? じゃあ持ってるやつ全部書いて!」
木崎「(呆れ笑い)図々しいやつ」

   木崎、(アイスコーヒーの入った)グラスに口をつける。

蒼「あはは、さすがに全部は冗談だよ。欲しいけど」
木崎「欲しいんかい」
蒼「今、色紙とマジック持ってないのが悔やまれる」
木崎「そんなの日常的に持ち歩いてたらビックリだけどな」
蒼「手帳にペンで書いてもらおうかなー。それとも本屋さんにダッシュして買って来ようかな」
木崎「アホか。それ以上荷物増やしてどーする」
蒼「ウッ……」
蒼(おっしゃる通りですね)

木崎「うちにある見本誌でよかったら幾らか書いて送ってやるよ」
蒼「(目を輝かせ)ほんとに? いいの?」

   蒼、木崎を見つめる。

木崎「(目をそらし)余ってるやつ置いてても仕方ないしな」
蒼「ありがとう! でも、ちゃんと自分でも買うからね」
木崎「買わなくていいっての」
蒼「いや、読書用に買う。サイン本の方は飾る」
木崎「ンなことより、さっさと住所教えろや」
蒼「紙に書いて渡せばいい? それとも携帯にメモする?」

   蒼、鞄を探る。

木崎「メッセで送っといて」
蒼「あ、うん」

   蒼と木崎、連絡先を交換する。

蒼「送ったよ!」

   木崎、携帯を確認。

木崎「……あっさり教えんなよ」
蒼「え?」
木崎「なんでもねえ」

蒼M「大崎航は、わたしの人生を変えてくれた。仄暗い世界にいたわたしに光を与えてくれたのが、大崎航だった。
 あなたは知らない。
 どれだけあなたの本にわたしが救われたかということを」

蒼「よかったら、また会えないかな」
木崎「は?」
蒼「実は。相談したいことがあってさ」
木崎「俺に?」
蒼「うーん。大崎先生に……かなあ? ファンレター書くか迷ってたんだよね」
木崎「なんだそれ」
蒼「暇で暇で仕方ないときでいいから」
木崎「ねえよ。ンなとき。あと先生いうな」
蒼「えー、先生は先生だよ」
木崎「うざ」

   木崎、コーヒーを飲む。
   蒼、腕時計をチラ見。

蒼(今頃桂さん、バリバリお仕事してるんだろうな)

木崎「このあとデートなんだろ」
蒼「!」
木崎「その荷物はカレシに会うために買い込んだ。違うか?」
蒼「(照れ顔)……さすがミステリー作家」
蒼(鋭い)
木崎「バーカ。こんなの誰でもわかるっつーの」
蒼(バカってなによ)
蒼「残念でした。彼氏じゃないよ」
木崎「!」
蒼「暫く恋愛とは無縁な生活送って、新しいことにチャレンジしたりしてみてたんだけど。不覚にも、会ったばかりの男性にときめいてしまって。みたいな。正直浮かれてる……って、こんなこと木崎くんにとっては、どうでもいいよね」
木崎「(真顔)……だからか」
蒼「だから?」
木崎「いや。こっちのハナシ」
蒼「?」

   蒼と木崎、カフェを出る。

蒼「えっと。サイン本、よろしくお願いします。あ、もちろん着払いで――」
木崎「聞いてやるよ。お前の相談とやら」
蒼「……!」
木崎「大崎としてでも、木崎としてでも。いつでも連絡してきやがれ」
蒼「っ、うん。ありがとう」
木崎「タイミングによっちゃ返事なかなかできねーけど。必ず返すから」

   木崎、立ち去る。

蒼(わたしも頑張ろう)

   木崎、振り返り蒼を見つめる。
   蒼、気づかずに背を向け歩き出す。

蒼M「このときのわたしは周りが見えていなかった。
 だから木崎くんの想いに少しも気づいてあげられなかったんだ」


(第六話 おわり)
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