国境の光
魚釣りを続ける、今野さんを横目に、歩を強め、坂を上がると、景子と貴洋の通う、高校だった。夏休みの浮かれた気分は、教室の中から消えていた。景子は、思わず、頬づえを突く。視界の中の、秋の海はどこか寂しげだった。

教室の中に、黒板にチョークの当たる音が、響いていた。
「円周率π 3.14 三桁までの数字を使って数式を書いてみると……」数学教師がそう言った。
景子は、口もとに、夏休みのお祭りで、貴洋と合わせた、唇の感覚を思い出していた。

秋の陽は穏やかで弱かった。景子はもう夏が終わった、と思った。
回転するように、くるくると周る秋の日は、貴洋と見た、夏の花火を思わせるのに充分だった。
透明な秋の空に、静かに細い雲が棚引いている。
景子は、帰り道には、秋雨が、必ず降ると、思った。

貴洋が、景子の机の目の前で、景子と同じ様に、頬づえを突いている。
貴洋が、急に振り返った。
貴洋の瞼の下に、うっすらと涙が浮かんでいる。
景子は、はっとした。しかし、それは、貴洋が、眠りこけて、瞼の下に流した涙だった。
授業中の、数学教師が、厳しい目で景子の方を見ていた。
景子は、「はい」と言うと、黒板の方に向き直った。
貴洋のシャープペンシルが、さらさらと動く。
景子も、黒板の筆記を移し始めると、微かな秋の微睡みを覚えた。

放課後の道を、景子は、貴洋と歩いた。貴洋の歩は、ゆっくりだった。景子は不思議な気がしていた。貴洋が愛おしかった。陽の光が、静かに垂れていた。景子は、あてもなく、貴洋と商店街を歩くことにした。肉屋が、カツレツを揚げていた。クリーニング屋が、ドライクリーニングをしていた。貴洋が、その様子を見ていた。
「貴洋」と、景子が言う。
「うん」と、貴洋が頷いた。
ラーメン屋の、前で貴洋が立ち止まった。景子は、貴洋が入りたがっているのだろうか、と思った。「中華そば嘉吉」と看板に書いてある、小さな汚いラーメン屋だった。
「ここ知り合いの叔父さんの、中華そば屋なんだ。御飯を食べに来たということにすれば、学校でも……」と貴洋が躊躇ったので、景子は、ええ、と言い、頷いた。

中華そばの汁は、煮干しのだしが効いて美味しかった。景子は、おわんの底の、スープの汁も飲み干してしまいそうになる程、真剣に中華そばを食べた。

中華そばの汁は、煮干しのだしが効いて美味しかった。景子は、おわんの底の、スープの汁も飲み干してしまいそうになる程、真剣に中華そばを食べた。
貴洋が、ちらと景子を見た。
景子は笑う。景子がはにかむと、貴洋が小声で、帰ろう、と言った。

貴洋に連れられて帰り道を歩く。景子はまた風がとても涼しいと思った。少しづつ雨が降り始めた。優しい秋雨だった。貴洋は、景子を景子の家まで送った。
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