ぜ、ん、ま、い、と、あ、た、し

おばさんが退室したのでシャワーを浴びることにした。

バスルームにはバスタブがあって、トイレと洗面台もあった。ここは水道が通っているらしい。

シャワーからは適温なお湯も出た。毎日シャワーを浴びることが出来るのだ。痒い所に自由に手が届く。

入院中は夏場でも週に二度しか沐浴してもらえず、痒い所はございませんか? 何て親切に訊いてはもらえなかったのだ。

あたしは心ゆくまで全身を洗いまくった。

髪を拭きながら久しぶりに鏡の前に立った。

事故前の顔に戻っている。鼻の奥がツンとした。

鏡の中の自分は口角を上げて、ちゃんと笑っている。そんな有り触れたことが、途方もなく嬉しかった。

耳の裏から後頭部に掛けて、大ミミズのようにのたくっていた傷跡もないし、鼻の穴には栄養チューブも差し込まれていない。

両頬に懐かしいえくぼも出現している。

パパはあたしのことを小さい頃「えくぼちゃん」と呼んでいた。大きくなってからも酔うとたまにそう呼んだ。事故後はもう口にしなくなったが。

鏡に向かって笑顔を作っていた。角度を変えたりして、とりわけ美人でもないのに、女優みたいに何べんも。

「くしゅんっ」

我に返り、着替えることにする。

ワンピースには背中にボタンがあった。

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