その瞳に涙 ― 冷たい上司と年下の部下 ―
名前を呼ぶと、広沢くんが私を閉じ込めていた腕の拘束を緩めて顔を上げた。
「言っときますけど、これでも人生でいちばんくらい我慢してるんで。だから、碓氷さんも部下ってだけで俺との間に境界線引かないでください。何回も言ってるけど、碓氷さんのこと本気ですから」
ひどく切なげな顔をした広沢くんと目が合って、不覚にも、心臓を射抜かれたように胸が大きく鳴った。
その目を見たら、もう「ふざけてる」なんて言葉は口にできなかった。
ざわざわと、胸が不穏に音をたて始める。
言葉を失くしてただ広沢くんを見つめていると、彼がふっと表情を和らげた。
「わかってます。ちゃんと帰ります」
そう言って、広沢くんが私を解放する。
広沢くんが離れると、それまで私を包んでいた彼の香りもすっと遠のく。
私から離れた広沢くんを纏う空気は、社内で見慣れた部下としての彼のものにすっかり戻っていた。
「碓氷さんの体調戻ってよかったです。あと、鍋もごちそうさまでした」
さっきまで熱を帯びたように感じていた彼の声が、まるで嘘みたいにいつも通りに聞こえてくる。
「碓氷さん、お疲れさまです」
「お疲れさま」
仕事終わりのように笑って玄関から出て行く彼の姿に、なぜか複雑な気持ちになった。