極上御曹司のヘタレな盲愛
中等部で『双子の残念な方』と私が呼ばれ始める少し前。
学食で私は高等部だった光輝や大河、悠太、その友人達が話しているそばを偶然通りかかった。

その時、大河が周りの友人達に
『双子の妹は、昔から俺のものだから、絶対に手を出すな!』
と牽制している場面を目撃した。

大河は私に気がつき目が合うと『なんか文句あるのか!』という顔で見てきた。

文句なんてない。
友人と一緒にいた私は素知らぬ顔をして通り過ぎたのだが。


そう。
大河は、子供の頃から私の双子の妹、花蓮の事が大好きなんだ。

大河の花蓮への気持ちを改めて聞いた、その時の私は。

私が初等部2年の時の誕生日を思い出していた。

私と花蓮のお誕生日会に、悠太と大河も呼ばれていたのだが、6年生だった大河のプレゼントが今でも忘れられない。


大河は、花蓮にはお花屋さんで綺麗にラッピングされた大輪の薔薇の花束を「誕生日おめでとう」とにこやかに渡し、私にはその辺に咲いていたであろうコスモスを数本、舌打ちをして凄く嫌そうな顔で「やる」と、おめでとうもなく押し付けた。

呼ばれていた花蓮のお友達も、それを見てクスクス笑っていた。

私は「あ…ありがとう」と一応受け取ったが、コスモスの花の裏側に大きな芋虫がついているのに気づいてしまっていて、本当は受け取りたくなかったし、大河に圧をかけられて受け取ったものの、すぐに叫んで放り出してしまいたかった。

でもせっかくくれたものだからと放り出す訳にもいかず、私は困り果てて涙を浮かべてしまった。

それまでにも大河は、花蓮には絶対にしないのに、私にだけ嫌がる事を何度もしてきた。

私が遊びに参加すると「鈍臭ぇな」が口癖だったし、舌打ちされる事も多かった。

大事にしていたヌイグルミに悪戯されたり。
「いいものやるよ」と言われてカエルを握らされたり。

オモチャのゴキブリを大量に投げつけられたりもした。

だからといって誕生日にまでこんな嫌がらせをするのかと、コスモスと芋虫を見つめながら本当に悲しくなってしまって、私はとうとう号泣してしまったんだ。

泣いている私を放って大河はどこかに行ってしまい、いつものように悠太が慰めに来てくれ、私に泣いている理由を訊き、庭に連れ出しコスモスについた大きな芋虫を取ってくれた。
お手伝いさんに小さな花瓶を用意してもらいコスモスを挿し、私の部屋に飾ってくれたので、私は漸く泣き止んだのだが…。

次の年からずっと。
大河は双子の誕生日にはプレゼントを花蓮にだけ渡して、私には何もくれる事はなくなった。

私も、また意地悪をされても困るし悲しくなるので、大河からの誕生日プレゼントを欲しいとは全然思わなかったから別によかった。


そういう風にして。
『花蓮とお前は違うんだぞ』って大河にはずっと思い知らされてきたんだ。

今更『花蓮は俺のだから手を出すな』って大河がお友達に言ってるのを聞いたところで、そんな事とっくに知ってるよ、って思うくらいだったのに。

何が気に入らなかったのか。
それからしばらくして、大河が私の事を『双子の残念な方』と言って馬鹿にしていたという噂が広まった。

その頃絶大な人気を誇っていた大河がそんな事を言ったものだから、私は中等部で『残念な子』のレッテルを貼られ、特に一部の女子からイジメのような事をされるようになってしまった。

3人と花蓮の取り巻き達、特に3人の中でも一番人気だった大河のフアンの人達は、地味な私が4人と一緒にいる事が元々許せなかったらしく、私への悪口、陰口は勿論、教科書や靴を隠されたり捨てられたりする嫌がらせを日常的に受けるようになった。


靴を隠され、職員室で借りたスリッパを履いてトボトボと学校から帰る私を、偶々見つけた悠太が、私からしつこく事情を聞き出し、その後、取り巻きやフアンの人達に言ってくれたのか、物を隠されたりする直接的な嫌がらせは無くなったが、『双子の残念な方』というレッテルは外れる事はなく、悪口、陰口に『チクリ屋』という言葉が加わった。
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